【体験談】陽気な会社員だった私が仕事で「うつ」になった話

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私は昔から割と前向きで陽気な人間だと自負しています。
それは物心ついた頃からそうだったし、大学を卒業して社会人になった今でもそうです。

ふざけて他人を笑わせるのが好きですし、自分でいうのもあれですが人当たりの良い性格も幸いしてたくさんの友達や、支えてくれる人ができたと思います。

しかしそんな私ですが一度仕事が原因で「うつ」になってしばらく休職したことがあります。

別に、「うつ」が心の弱い人がなるものとか、ネガティブな性格の人がなるとか、そういった偏見があったわけではありませんが、まさか自分が実際になるなんて思いもよりませんでした。

今は回復して職場復帰していますが、
一度うつを患ったことは私の価値観を大きく変えた出来事でした。

今回はうつに至った経緯や兆候、療養期間の過ごし方とその後などについて、
私の体験談を書いていこうと思います。

「いやいや、私はうつにはならんべ」と思ったそこのあなた!
私もそう思っていたんですよ!(笑)

この記事を通じて、自分の心と体の異変に気付いたり、
今苦しんでいる方を助けるきっかけになれば幸いです。

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執筆者情報

もりけぇ

  • 妻子持ちの30代副業サラリーマン
  • 知識0からブログを始めて独学で収益1万円/月を達成
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  • ブログ運営のノウハウや便利なガジェットについて発信しています
目次

職場環境の変化

私は大学院卒業後、そこそこ大きい製薬会社に勤めています。

国内シェアもそれなりに高く、皆さんも確実にお世話になったことがある医薬品を製造しています。
なのでやりがいのある仕事なのですが、とにかくまぁ忙しい。

私は製造部署の所属なのですが、医薬品は市場で欠品すると患者さんの命に関わるため、
入社1年目からとにかく過密な生産計画に追われる日々でした。

そんな忙しい日々を過ごして迎えた2年目の夏。
一年の中でも最大級の繁忙期を抜けたあたりで、私のいた本社からすこし離れた事業所にある別チームの仕事を担当するようになりました。
その別チームの仕事は製造作業とはまた少し違う業務で、ざっくりいうと新しい生産ラインの立ち上げ業務といったものです。

当然、それまで製造作業しか経験がなかった入社2年目の私はそんな仕事やったこともないため、全く要領が分かりませんし、知識もありません。
というか、「分からないことが分からない」という状況で、それでも業務を進めるためにとにかくその別チームの先輩と上司に毎日質問する日々でした。

しかしそのチームの空気がとにかく悪い。
オフィスでの雑談はほぼ皆無で、会話は業務に関することだけ。
質問してもめんどくさそうにあしらわれることもあり、途方に暮れることもありました。

加えて、私には上司が二人ついていたのですが、その二人の指示が食い違っていたり、
情報が相互に共有されていなかったり、双方の上司が業務量を考えずに五月雨式に仕事を頼んできたりと、とにかく面倒くさい状況が多かったです。

他にも設備トラブルが起きた際に、対応を相談しようと責任者である上司に報告に行ったのですが素知らぬ顔で「で、どうするの?」と返す始末。
分からないから聞いてるんですが…?

毎日が未知の業務の連続で、近くに頼れる人もおらず、家に帰っても常に不安でした。

元々いた本社のチームは超忙しいながらもコミュニケーションが活発で、オフィスでも雑談したり笑い声が聞こえることもよくありました。
そのあまりのギャップに、本社が恋しくなりました。
いや本社もしこたま忙しかったんですけどね…(笑)

それでも、その環境でなんやかんや1年くらい頑張れたわけですが、
それは新しい家に引っ越したり、結婚したりと、プライベートが充実していたおかげかなと思います。

あと、元のチームから先輩を一人追加で派遣してもらえて、職場で話し相手ができたのが大きかったと思います。

徐々に表れた「異変」

そんな日々を送っていた時、私は小さな異変に気付きました。

夜の寝つきが極端に悪くなったのです。

いつも深夜0時くらいには床に就き、30分もたたずに眠りに落ちていたのですが、
ある時から1時間たっても2時間たっても眠れなくなったのです。

結局深夜3時になろうかという時間帯でようやく眠りに落ちるわけですが、今度は1時間くらいで目が覚めてまた眠れなくなり、そのまま起床の時間になって会社に行くという感じです。

おそらく数か月はそんな状況が続いていたと思います。
さすがに何日かに一度は電源が落ちたように眠れていたので、
それで私は「睡眠はまぁ不安定だけどとれている」と思っていました。

もちろんそんな状況でも仕事は山積みです。
とにかく無心で仕事を片付けますが、頭がまともに動いていないためミスも増え、
さらに仕事が増えるという悪循環に陥っていました。

加えて、製造の繁忙期になると、元いたチームの製造作業にも呼び出されて文字通りダブルワークといった状況。
睡眠が不安定だった影響か、それなりに慣れていた製造作業でもミスをするようになり、
恋しく思っていた元のチームでも上司に注意されることがありました。

少しずつ、自分の居場所がなくなっていくような感覚に陥ったことを覚えています。

また、今思い返せばこの時期は家に帰ると完全な無気力状態で、ちょっとしたことでイライラして、ゲームをしていても、大学から続けていた社交ダンスの練習ををやっていても、何をしていても心から楽しめていないような状態でした。

また、他の人への対応にも変化が生じていることに気が付きました。

本社にいた頃は、後輩から仕事の質問などを受けた際にはきちんと手を止めて顔を見て話すように心がけていました。

しかし忙しさで余裕がなくなっていた私は、後輩の問いかけにも顔も見ずに淡々と受け答えたり「後にして」と横柄に対応するようになっていたのです。

言うならば、私も意地悪上司と同じような対応をするようになっていたのです。
これ本当に怖いなと思います…


私の様子を見た本社の後輩が、心配して声をかけてくれたおかげでこの変化に気づくことができました。
私のことを慕ってくれている後輩なので、早い段階で気づかせてくれて本当に感謝しています…

この時「あぁ、俺おかしくなってきてるな」と感じ始めました。

心が決壊した瞬間

そんな肉体的、精神的に不安定な生活を送っていた時、設備立ち上げのための実験のような作業が大量に降りかかってきて、月に80時間近くの時間外労働になった時がありました。

そんな時でも、上司は作業を私に任せてさっさと帰ります。
初めから期待はしていませんでしたが、特に心配の声をかけたり、業務を分配したりすることはありませんでした。

どうにかその超ハードな月を乗り越えましたが、その先もまだまだ激務が続く見通しで、
いいかげんうんざりしていました。

そんな時、新型コロナ流行に伴い、新しいプロジェクトが立ち上がったことを知ります。
私がいるチームの業務に完全に上乗せする形で新たな業務が降ってくるのです。

しかもその新しいプロジェクトの忙しさがピークを迎える時期が、私の結婚式、新婚旅行の時期とドンピシャで重なっていたのです。

さすがにアカンと思い、上司にその期間だけでも休ませてもらえないかと直談判しましたが、「人員が足りないから難しい」という結論でした。

静かに絶望しました。

「どれだけ仕事を頑張って消化しようが、全く状況が良くならないじゃないか」
「仕事のために大切なライフイベントすら犠牲にしないといけないのか?」
「このプロジェクトを乗り越えても、まだ忙しい日々が続くのは分かり切ってるじゃないか」

こんな思いがぐるぐると頭の中を回り、何も考えられなくなりました。

精神的に限界ぎりぎりに達していたんだと思います。

そしてある日、製造のために本社に本社に出社した朝
突然、心が限界を超えました。。

席について、メールを見ているときに、突然涙が止まらなくなったんです。


特に何かきっかけがあったわけではありませんが、その朝はとりわけ気分が落ち込んでいたのを覚えています。
その様子に気づいてくれた本社側の上司が、私の話を聞いてくれました。

今のチームで業務が全然うまくいかないこと、孤独なこと、将来のことに希望が持てないこと、結婚式のこと…
うまく伝えられていたかは分かりませんが、とにかく当時の不安な気持ちをそこで吐き出したと思います。

「自分はこの仕事に向いていない」
「みんなに迷惑ばかりかけている」
「自分は必要とされていない」

無能感、孤独感、将来への絶望、前向きな性格だった私がこんな状態になっていたんです。

(今この記事を書きながら、我ながら驚いていますよ)

その上司から課長に取り次いでくれて、産業医の先生との面談を経て、その日は早退して病院に行くことになりました。

本社の上司も、課長も、産業医の先生も本当に優しかったのを覚えています。

診断の結果は「抑うつ状態」


病院の問診で、当時の症状をありのまま伝えました。

・不眠
・何をしていても楽しくない
・不安感
・めまい
・無能感
・慢性的なだるさ
・他人と話すのが面倒に感じる
etc…

結果、お医者さんからは「抑うつ状態」の症状がみられるとの診断でした。

(抑うつ状態というのは、うつか、その他の精神疾患かの判断が難しい場合に暫定的に言われることが多いようです。)

いざ口に出して診断結果を伝えられると「やっぱりか」と思う気持ちと「まさか自分が」という気持ちが混ざったようなよくわからない感情でした。

いずれにせよ、すぐに静養が必要なので仕事は休むようにと言われ、休職と療養が必要な旨の診断書をもらいました。
加えて、抗うつ剤と睡眠導入剤も処方してもらいました。

翌日、課長に診断書を提出し、最低限の仕事の引継ぎだけ伝えて休職することになりました。

この時点では、どのくらい休むのか、この先はどうするかは何も決まっていませんでしたが、当時の私にとってはもはやどうでもいいことでした。

「今はとにかく休みたい、何も考えたくない」これだけでした。

ようやく、私は地獄から解放されたのです。

抗うつ剤の副作用に苦しむ

家に帰り、休職することになったことを妻に伝えると、妻も安心したようでとても喜んでくれました。

私のことを一番心配してくれて、いつも気にかけていてくれたのは妻でした。

休職すること自体にも少し不安があったのですが、「ゆっくり休んでね」と言ってくれて、とてもほっとしたのを覚えています…

療養期間に入ると、1日1回、夜寝る前に病院でもらった抗うつ剤を飲むことになりました。
この抗うつ剤の作用により、不安感などを軽減してくれるそうです。

やはり薬の効果はすごいです。
それまでなかなか眠れなかったのが、比較的短い時間で眠りに落ちていました。
(即入眠とまではいきませんでしたが)

しかし、よく効く薬には副作用がつきものです。
副作用の可能性については、あらかじめ病院でも説明を受けていて、
「血中の薬の成分量が安定するまでは、2~3日は体がだるくなったり眠気を感じたりすることがあります」と聞いていました。

この説明通り、抗うつ薬を飲み始めて2~3日間の副作用は本当にきつかった…

全身がだるくなり、頭も重く、立っているのも辛いくらいでした。
たとえるならインフルエンザにかかったくらいの感じですかね。

結局、最初の丸2日くらいはずっとベッドで寝て過ごすことになりましたが
幸い3日ほど経過するとこれらの症状はなくなり、普通に活動できるようになりました。

体が薬に慣れたのを確認して、病院でもらっていた睡眠導入剤も併せて飲むようになったのですが、やや体に合わなかったのか、朝起きた時の倦怠感が酷かったため少し弱い睡眠導入剤に変えてもらいました。

こうして、私は仕事を休み、薬を飲みながらの療養をスタートしました。

みんなに支えられた療養期間

療養と言っても、基本的には家でゆったりと過ごすというものです。
抗うつ剤の副作用が落ち着き、最初の1週間はとにかくなにもせず家でボーっと過ごしていたと思います。

映画やYouTubeを観たり、ゲームをしたり、あまり外出せずに体と心を休めることに徹していました。
家事は得意な方だったので、家の片づけや掃除、料理などに打ち込むのも気が紛れてよかったです。

さすがにずっと家にこもっているのも不健康かなと思ったので、
近所を散歩したり、
ニンテンドースイッチの「リングフィットアドベンチャー」で体を動かしたり、
夜には妻と一緒にダンススタジオに行って趣味の社交ダンスの練習をしたりと、適度な運動を心がけていました。

ダンススタジオの先生方や、ダンス仲間も、私のことを心配してくれていたようで、練習しながらも私の体調を気遣ってくれました。
スタジオがお休みの日にはゴルフや遊びに連れ出してくれたりと、本当にありがたかったです。
スタジオの先生曰く、休職直前の私の顔は明らかにやつれていて、とても心配していたとのことでした。
この時ほど、職場以外のコミュニティを持っていてよかったなぁと感じたことはありません。

他にも、休職に入って2週間くらいたったころに、職場の同期たちがランチに誘ってくれました。
同期は本当に気のいい人たちばかりで、サプライズで「結婚おめでとう!」のプレートまで用意してくれたりして、心からに友達に恵まれてるなと思いました。
嬉しくて泣きそうでしたが、気恥ずかしかったので我慢しました。

他の機会にも何人かの同期と久しぶりに会うことができ、みんな私の近況や友達の部署の話など情報交換できました。
私のブラック事業所には全く同期がいなかったので、久しぶりに会えてとてもうれしかったです…

また、症状が落ち着いた頃には実家の家族にも会いに行き、近況を報告しました。
心配してくれていたようで、「先のことはどうとでもなるから、とにかく休みなねー」と言ってくれたのに加えて、
親父から「人生、自分の力だけじゃどうにもならんこともある。こうなってしまったのは、お前が悪いわけではないからな。大丈夫だからな。」と励ましてくれました。

いろんな人に支えられながらゆったりとした時間を過ごす中で、少しずつですが心と体が回復していきました。
次第に、休職前に感じていた孤独感や無能感も薄れ、本来の前向きで、明るいイケメンな私に戻っていきました。

体調が落ち着いてくると、今度は家で何もしていないのも不安になるので、自ずといろんなことを調べたり、やったことが無いものに挑戦してみるようになりました。

前からやってみたかった自作PCを作ってみたり、YouTubeに動画を上げてみたり、資産運用の勉強を始めたり、せどりをやってみたり、ブログを立ち上げてみたりと、気づけばいろんなことに挑戦しいましたが、そのへんはまた別のお話としてまとめようと思います…!

休職明けどうする問題

2~3週間に一度くらいの頻度で通院して、その都度診断結果を会社の産業医の先生に報告していました。

幸い、体調は比較的順調に回復したのですが、
そうなると自然と「休職後にどうするか」を考え始めます。

当時私の中の選択肢は「①復職」、「②退職(転職)」のどちらかだったのですが、
結論としては「①復職」を選択しました。

なぜなら、仮に休職からそのまま退職&転職となった場合、転職活動時にマイナスイメージが付く可能性があると判断したためです。

もちろん復職にも不安はありましたが、「もしまた病むようなことがあったらその時は潔く辞めたるわ!」くらいの吹っ切れていました。

産業医の先生や、部長との面談を通じて、とりあえず休職が明けたら復職する方向で相談しました。

とはいえ、元のブラックチームにそのまま戻るつもりはありませんでしたので、部長には異動を希望している旨を伝えました。
異動希望が通らなかったらさすがにその時点で辞めるつもりでしたね。

部長から人事に掛け合った結果、なんと「異動は難しい」との回答。

さすがにドン引きしましたが、続けて「本社チームに戻すことはできる」とのことでした。
これには迷いました。本社の製造チームも社内随一の忙しさであることを知っていたからです。
しかし、古巣に戻れるということで、人間関係は安定していて、業務内容も分かっているので、復職明けのストレスとしては少ないだろうとの説明をされました。

確かに部長の言う通りでした。
休職明けの不安定な体で、環境を一気に変えるのは得策ではないかもしれません。
加えて、休職明け3ヵ月は時間外労働をさせない決まりになっているとのことでした。

部長の説明を元に総合的に考えた結果、「本社チームに戻る」ことが当時選べる選択肢の中では最良と判断し、古巣に戻る形で復職することになったのです。

やっぱり不安だった復職

いくら古巣とはいえ、休職したのは初めてだったので復職したときにどんな反応をされるか分からず緊張したまま復職当日を迎えました。

実際のところは、みんな過剰に反応するわけでもなく、かといってスルーするでもなく、以前のまま自然に「おかえりー」と声をかけてくれました。
その対応が私にとって一番ありがたかったです。

予想外だったのは、仕事で関わりのあった他の課の先輩たちも心配して声をかけてきてくれたことでした。
「体調は大丈夫?」とか「君は悪くないからね」と声をかけてもらえたのが純粋にうれしかったです。

加えて、休職に至った経緯について、現状把握と再発防止のために労働組合の人からもヒアリングがあったので、業務負荷がえげつないこと、チーム内のコミュニケーションに問題があることなどをありのまま伝えておきました。

業務負荷については正直チーム内の問題だけでなく、経営判断の影響が大きいのでそうそう簡単には改善しないだろうなと思っていましたけどね…

こんな具合に予想以上に平穏に復職を迎え、
しばらくは半日勤務などで体を慣らし、少しずつ勤務時間を延ばして体を慣らしていきました。

休職時の説明通り、復職後3ヵ月は時間外労働はなしだったのでありがたかったですね。
まぁ、3か月経過した後はまた製造作業で忙しくなって一気に時間外労働が増えたんですけどね!(笑)


ちなみに私が休職した後のブラックチームですが、私が欠員したことで業務が回らないと判断したようで、他部署から1人メンバーを補充したそうです。

相変わらずの忙しさだったようで、その補充要員として来てくれた方にとても申し訳ないですね…

大きく変わった価値観

さて、激務からのうつ、休職、復職までの一連の経験を経て、変化した価値観や、強く実感した価値観がいくつかあるのでここで整理します。

今回の投稿で一番伝えたい内容です。

睡眠は最優先でとるべし

大学生のときなんかは、たまに徹夜することもありましたが、
やはり徹夜明けの日は頭が働いていない実感がありました。

休職直前の私の場合、慢性的な睡眠不足により確実に脳の機能が低下していたと思います。
頭が回らず、視界がチカチカして、少し前にした会話の内容を思い出すのも苦労するくらいでした。
文章を読んでいても、頭が文字として認識できていないようなときもありました。

休職期間に入って薬を飲み、ぐっすり眠るだけでも明らかに脳が元気になったのを感じたのです。
視界が明るくなり、頭のなかのもやもやが晴れたような感覚で、体が軽く感じたのを覚えています。

休職期間に睡眠の作用についていろいろ調べたのですが、
睡眠不足の人間には集中力の低下、免疫力の低下、ストレスの増大、太りやすくなる、生活習慣病にかかるリスクの増大など、様々な悪影響があるそうです。

これは私の実感とも一致します。マジで良いことは1個もないです。

復職以降、製造の夜勤などでたびたび生活サイクルが乱れることはありますが、
睡眠だけは最優先でとるように心がけています。

体を壊してから休んでも遅い

これは皆さんに最も伝えたいことなのですが、

心や体が壊れてから治そうと思ってもなかなか元通りに治すのは難しいです。

心身が壊れてしまう前に休むか、その環境から離れてください。


私が3ヵ月程度で復職するまでに回復できたのは、幸いにも比較的早い段階で抑うつ症状に気づくことができたからです。
症状がもっと深刻化していれば、復職はおろか症状の改善もままならなかったかもしれません。

自分の体より大切な仕事なんてありませんし、最終的には会社も私たちの心身の健康は保障してくれません。

あなたがもし、自分の心や体をすり減らして、理不尽な環境で働いているようであれば、
今すぐ誰かに助けを求めるか、そこから逃げてください。

大丈夫です、たかが社員が一人離脱して回らなくなるような職場は、とっくに機能不全に陥っています。

良い人間関係が心の支えになる

先にも書いた通り、私の療養期間の心の支えになったのは、妻をはじめ、ダンス仲間、職場の同期、家族など、私が普段大切に思っている人たちでした。

今私がこうしてブログを書くことができているのは、私を励ましてくれたみんなのおかげです。
私が本当に困ったときに、手を差し伸べてくれたみんなのおかげです。

人生の中で出会う人の数というのは膨大です。
出会う人全員を大切にすることは難しいでしょう。

しかし少なくとも、あなたの誠意に応えてくれる人は全力で大切にしてください。
あなたのことを大切にしてくれる人のことは、それ以上に大切にしてください。

あなたが大切にした人たちが、あなたが困ったときにきっと手を差し伸べてくれるはずです。

いつでも外の世界に目を向けよう

私は新卒で今の会社に入り、ブラックチームへの異動からずっと目の前の仕事のことを考える毎日を送っていました。

毎日会社で忙しく動き回り、家に帰っても翌日の仕事の段取りを考え、休みの日にも月曜日の仕事の流れを考えている…。
自分以外やる人がいないから、目の前の仕事を自分が全部やらないといけない。

そう思っていました。

しかし自分が休職して実感しました。
「自分が働かなくても世界は問題なく動いているんだなぁ」と。

もちろん私の欠員を埋めてくれた方がいるのは間違いないですし、その方には心から感謝すると同時に申し訳なく思っています。

しかし私以外の人間がその仕事を回してくれたことで、私の代わりなんていくらでもいるんだということに気づくことができました。
言い換えると、あれほど自分が身を削って、精神を病んでまで働いていたのがアホらしくなったんです。

療養期間に自分がやりたかったことに挑戦したり、興味があったことを勉強してみたりして、世の中には自分の知らないことや面白いものがたくさんあることを知りました。

ずっと目の前の仕事のことだけやっていたら気づけなかったようなことばかりで、その中には「こういう仕事もしてみたいかも」と思えるようなものもありました。

今目の前の仕事や環境に満足していないのであれば、少し会社の外の世界にも目を向けてみてはいかがでしょうか。
会社の外に目を向けることで、自分の未来が変わるきっかけに出会えるかもしれません。

今の自分の環境が、自分の全てではないことを忘れないでください。

復職後から現在まで

今も私は復職当時と同じ本社のチームで仕事をしています。

復職から1年半ほど経ちますが、メンバーの入れ替わりなどを経てチームの人数が減ったこともあり、相変わらず忙しい毎日を送っています。

それでもメンタル的に安定しているのは、やはり今のチームの人間関係が良好であることが大きいです。
困ったときには相談ができて、製造できついときにもお互いに励ましあうことができて、
時にはしょうもないことで笑える環境というのは、
想像以上に精神安定に貢献していることを実感しています。

いや、時間外労働が多いことは良くないんですけどね⁉

今の環境も多忙であることをはじめ課題は山積みで、環境が好転するかどうかは微妙なところです。

「お前がそんな環境を変えろ!」というような熱血的なご意見もあるかもしれませんが、
基本的に激務は組織構造の問題です。
一個人でどうこうできるならとっくに改善されているんですよね…

世の中にはいろいろな仕事と働き方があります。

今後の選択肢を増やすために、最近はいわゆる副業にチャレンジしているところです。
このブログもその一環です。

さて、何をするにもまずは健康な体が一番大切だと思います。

皆様もどうか、いろいろな苦労を内に秘めて頑張っている人ばかりと思いますが、
自分のことは自分が一番大切にしてあげてください。
あなたが傷つくと悲しむ人がいることを忘れないでください。

人生、健康でいてなんぼですよ!!

長文になってしまいましたが、ここまで読んでいただいて本当にありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします…!

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