最近、「1日30分睡眠を17年間続けている」という人がSNSやテレビで話題になっています。ショートスリーパーという言葉自体は以前から聞いたことがあるかもしれませんが、さすがに1日30分となると「本当にそんなことが可能なのか?」と懐疑的な人も多いはずです。
念のため最初に申し上げておくと、私も1日30分といった極端な短時間睡眠には明確に反対です。後述しますが不眠症に苦しんだ経験もあり、睡眠が超大事であることは肌身で理解しています。
実際、多くの科学者がショートスリーパーに否定的で、睡眠を極端に短時間に削ることは不可能であると考えています。
1日30分の睡眠が明らかに無理があるのは誰でも経験的にも明らかと思いますが、睡眠メカニズムの知見からも、かなり無理があります。せっかくの機会なので、なぜそう言えるのか、睡眠中に体の中で何が起きているのかというところから、一つずつ整理してみようと思います。
私自身、過去に不眠症に苦しんだ経験があるので、このような極端な短時間の睡眠を推奨するような言説に否定的な立場です。
この記事では、睡眠の大切さを科学的な立場から再確認するとともに、筆者が実践している睡眠の質を高めるコツなどについても紹介します。
睡眠中、脳の中では何が起きているのか
睡眠が大切なのは体験的にわかっているつもりでも、具体的に体の中で何が回復しているのかをきちんと説明できる人は少ないのではないでしょうか。大きく分けると、睡眠中の体内では次の3つが行われています。
脳の清掃作業(グリンパティックシステム)
脳は日々活動する中で、老廃物(アミロイドβやタウタンパクなど)を生み出しています。この老廃物を洗い流す仕組みが「グリンパティックシステム」です。
脳脊髄液が血管の周りの隙間を通って脳内に流れ込み、アストロサイトという細胞にある「アクアポリン4」という水チャネルを通って、神経細胞の間のすきま(間質腔)に染み出します。ここで老廃物を洗い流し、最終的に静脈周りの通路から脳外へ排出する、という流れです。
この清掃作業は、睡眠中に活発化することがわかっています。睡眠中は神経細胞のすき間(間質腔)が最大60%ほど広がり、脳脊髄液が奥まで浸透しやすくなるためです。
参考:日本脳科学関連学会連合「脳内の老廃物排除の仕組み:グリンパティックシステム」
参考:日本経済新聞「睡眠中に脳をお掃除 老廃物を洗い流すグリンパティック系」
記憶の整理・定着
ノンレム睡眠では記憶の固定が、レム睡眠では情報同士の関連づけや感情の処理が行われるとされています。要するに日中に記憶した情報を、寝ている間に脳が整理整頓しているというわけです。
勉強したあとにしっかり睡眠をとることで記憶が定着しやすくなるというのはこの働きによるものです。
身体の修復・成長
深いノンレム睡眠時には成長ホルモンが分泌され、筋肉や組織の修復、免疫細胞の生成が進みます。「寝る子は育つ」はただの慣用句ではなく、生理学的にも理にかなった表現というわけです。
もりけぇここまでの内容をまとめると、要するに睡眠中には脳をはじめ体全体の清掃やメンテナンスが行われているということです。
なぜ「起きたまま体の回復」ができないのか
ここで気になるのが、「体の回復作業って、起きてる間に同時並行でできないの?」という疑問です。
しかしこれは人体の仕組み的に困難であることが分かっています。
- 覚醒中は神経細胞が活動しているため、細胞同士のすき間(間質腔)が狭くなっている
→脳に溜まった老廃物を洗い流すことが難しい - 覚醒中に分泌されるノルアドレナリンなどの神経伝達物質が、血管の拍動リズムを妨げる。
→グリンパティックシステムはこの血管の拍動を”ポンプ”として利用しているため、覚醒中はポンプ機能自体の効率も落ちる - 成長ホルモンが分泌されず、筋肉や組織、免疫細胞の修復が進まない
→
工場に例えるなら、製造ラインをフル稼働させながら同時に隅々まで掃除をさせるようなもの。
作業スペースや作業員のリソース的にも難しいですよね。
そのため工場が稼働していない時(睡眠時)にようやく清掃用の水(脳脊髄液)を隅々まで行き渡らせるスペースと労力が確保できる、というわけですね。
睡眠不足が引き起こす体への悪影響
睡眠中に脳の清掃がうまく進まないと、当然その代償はもろ体に返ってきます。
- 老廃物の蓄積
アミロイドβが凝集して神経細胞間のシグナル伝達を阻害。タウタンパクの異常化は神経細胞内の輸送機能を壊し、細胞死につながる。
この状態が慢性化するとアルツハイマー型認知症など神経変性疾患のリスク要因になりうるという研究もある。 - 炎症の誘発
蓄積した老廃物をミクログリア(脳内の免疫細胞)が異物とみなして炎症反応を起こし、これがさらに神経細胞にダメージを与える悪循環に陥る。 - ホルモン・自律神経の乱れ
成長ホルモンの分泌減少、コルチゾール(ストレスホルモン)の増加、食欲に関わるホルモン(レプチン・グレリン)のバランス異常など、体全体の調整機能に影響が及ぶ
清掃をサボると、目に見えない部分から少しずつ品質・稼働率が落ちていく——工場もカラダも、実は同じ理屈で動いています。
参考:公立学校共済組合「しっかり眠って心身をメンテナンス ストレスに負けない体をつくる睡眠」
参考:豊橋ハートセンター「『寝る子は育つ』は子どもだけにあらず!『よくない睡眠』がからだに及ぼす影響とは」
なぜ生物は睡眠を完全に手放せないのか
睡眠が体にとってとても大切なことは分かりました。しかし、いくら大事なこととはいえ、生物の進化の長い歴史の中で、「睡眠」という超無防備な状態が淘汰されなかったのはなぜでしょうか?
睡眠中の生物は、外敵に襲われても反応ができません。それでも人間を含む大多数の知的生物は、いまだに睡眠を手放せずにいます。これは現在の睡眠研究でも決定的な結論が出ていない謎です。
有力な仮説は次の2つです。
- 回復機能が覚醒状態では代替できない説
睡眠中には、脳のメンテナンス(グリンパティックシステム)に加え、体内で発生する老廃物を除去する働きが活発になることがわかっています。この処理は覚醒中には効率的に進まないため、無防備になるリスクを冒してでも眠ることが、機能不全による生存への不利を避ける手段として選ばれてきたと考えられています - エネルギー保存説
筋肉の収縮などの活動には大きなエネルギーを消費するため、一定時間活動を止めて代謝を落とすこと自体に、省エネ・飢餓対策としてのメリットがあった、とする説です。
参考:東京大学リガクル「睡眠は21世紀の今も謎だらけだ」
参考:ナショナルジオグラフィック日本版「なぜヒトの睡眠は2種類あるのか」
面白いのは、イルカやクジラなど一部の生物が「半球睡眠(左右の脳を片方ずつ休ませる)」という手段で、睡眠時の不動状態を最小化していることです。ただし完全に無くすには至っていません。
残念ながら、これは人間の脳では実現できないとされています。イルカなどは左右の脳をつなぐ連携が緩く、左右を独立してコントロールできる神経回路を進化の過程で獲得しているのに対し、人間は逆に左右の脳を密に統合して使うこと自体が、言語や抽象思考といった高度な認知の前提になっているとのこと。
記憶の定着処理も、海馬と大脳皮質をまたいだ左右一体の同期が必要とされており、片方の脳だけが起きている状態ではこの同期プロセス自体が成立しない可能性が高いとされています。
「1日30分睡眠」を続けたらどうなるか
ここまで、睡眠のメカニズムとその必要性について整理してきました。
すでに1日30分睡眠がいかに無茶で体に負担をかけることになるかはなんとなくお分かりいただけると思います。
過去には様々な断眠実験が行われていたため、その事例もご紹介します。
人間の断眠記録は11日間が限界
科学的に確認されている人間の断眠記録は、1964年にランディ・ガードナー(当時17歳の高校生)が樹立した264時間(11日間)です。スタンフォード大学の研究者が立ち会う中で行われた実験で、5日目あたりから妄想・幻覚、記憶障害、ろれつが回らないといった症状が現れました。
一方で、実験後は14時間ほどの睡眠で機能が回復したとも報告されています。
ラットは断眠だけで死んでしまう
一方、1980年代にシカゴ大学のアラン・レヒトシャッフェン博士のグループが行ったラットの断眠実験では、完全に眠らせない状態を続けたラットは平均2週間程度ですべて死亡しました。
死亡前には、食欲は増すのに痩せていく代謝異常、体温調節機能の破綻、皮膚の潰瘍、免疫機能の完全な破綻などが見られています。興味深いのは、死因が脳の機能不全ではなく、体温調節・代謝・免疫系という全身の恒常性維持機能(ホメオスタシス)の崩壊だったという点です。解剖しても致命的な臓器損傷は見つからず、死の直接的な原因は今も確定していません。
さすがに人間で同じ実験を行うことは倫理的に不可能なため推測にはなりますが、人間とラットの断眠実験を並べてみると、「1日30分睡眠を17年間」がどれほど生理学に無謀な話と言えるでしょう。
筆者の体験談:3〜4時間睡眠が続いた時期の話
ここからは私の実体験の話。過去に残業続きと不眠症が重なり、1日の睡眠時間が3〜4時間という期間がしばらく続いたことがありました。そのときに実際に出ていた症状です。
- 仕事で些細なミスが増える
- 夜になかなか入眠できない、すぐに目が覚めてしまう
- ゲームや映画など、趣味の時間が楽しくない
- 食欲が湧かない
- 車を運転していて、道を間違える
- 些細なことで悲しくなり、涙が出てくる
その後、抑うつ状態と認定されて休職に至ったわけですが、後から調べるとこれらは睡眠不足の典型的な症状です。前頭前野の機能低下による判断ミス、扁桃体の過活動による情緒不安定、報酬系の機能低下による快感の消失などなど、脳の働きが乱れていたことは明らかです。
3〜4時間睡眠でここまで参ってしまった経験からすると、1日30分睡眠というのはもう「体調を崩す」を通り越して、心身が破綻する状態になることは容易に予想できます。
まとめ:ショートスリーパーの実現は科学的に困難
睡眠中の脳では、老廃物の清掃、記憶の整理、身体の修復という重要な作業が行われています。これは覚醒中には代替できない作業で、睡眠を削ると確実にツケが回ってきます。「1日30分睡眠を17年間」という話は、現状の睡眠科学の知見から見てもかなり無理のある主張だというのが、今回調べて改めて感じた感想です。
自称ショートスリーパーの某氏は、睡眠時間を削ることで他の時間を有意義に過ごせると主張し、ライブ配信にて自身のショートスリーパー生活を実証しようとしています。
しかし実際のところ、眠気を堪えるかのように熱い風呂に入ったり、断続的に寝落ちするなど、とても有意義な時間を過ごしているようには見えません。心身に悪影響が出ていることは客観的にも明らかです。
もはや自分を反面教師として睡眠の重要性を私たちに説いているようにすら感じます。
私自身といえば、不眠に悩んだ経験があるからこそ、睡眠時間の確保と質の向上のために次のようなことを意識しています。
- 就寝・起床時間をできるだけ固定し、最低でも6時間は寝る
- 就寝前はなるべく食べ物を食べず、消化器官を休ませる
- 眠る前はスマホの画面を見ず、Audibleや音楽など音声コンテンツを満喫する
睡眠を削って活動時間を最大化するのではなく、一定時間の睡眠が不可欠である前提で睡眠の質を最大限高めることが、結果的に起きて活動している時間の質を高めてくれるのです。
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