「ミニマリスト」の考え方を知って人生が変わった話

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皆さんは「ミニマリスト」って知ってますか?

ミニマリストとは簡単に言うと、「ミニマリズム」を生活に取り入れて実践する人たちのことです。

…なんじゃそりゃって感じですよね。
私もミニマリズムのことを知る前はそんな感じでした。

「ミニマリスト」という言葉は聞いたことがあるなーくらいの認識で、「モノの少ない部屋で質素な暮らしをする変な人たち」くらいに思っていました。

しかし私が精神を病んで途方に暮れていた時、価値観の大きな転換点になったものこそ「ミニマリズム」でした。

今回は、私とミニマリズムの出会い、そしてその後に起きた変化について書いていこうと思います。

目次
執筆者情報

もりけぇ

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メンタルダウンで抱えた人生の不安

私は2020年に、会社の激務と人間関係で精神を病んで3ヵ月休職したことがあります。

休職に至った経緯は別の記事でまとめているのでここでは省略しますが、とにかく心身ともに疲弊していました。
休職を経験したことで、療養が終わって復職してからも先の人生について不安を抱き、ぐるぐると悩んでいました。

激務と人間関係という、自分ではコントロールできない要因によって一時的とはいえ収入を失う恐怖を体験したのです。
不安になるのも当然でしょう。

休職する少し前、激務に追われて先が見えない絶望感の中で、私は「これからの自分の身を守るために何かしら行動しなくてはならない」と強く思うようになり、様々なことを調べては実践するようになりました。

結局のところ、私が心身を病むまで働くはめになったのは嫌でも会社で働いていないと日々の生活費を稼げないからです。

しかし生活費を稼ぐために頑張って働いた結果、心身を病んで稼ぎを失ってしまうというのは何と皮肉な話でしょうか。

このメンタルダウンをきっかけに、私の価値観の根幹に「いつでも会社を辞められる選択肢を持ちたい」という考えが強く根差すようになります。

心地の良い環境に身軽に動けるようになりたいなと思っているんですよね。

しかし残念ながら、私には働かずに生きていけるほどの資産もネームバリューもありません。
現状ではどうしても働くことから完全に自由になることは難しいわけです。

とはいえ、「仕事が苦しい時間を最小限に抑える方法は必ずあるはず」と考え、私は復職後から経済的・精神的に身軽になる方法を模索し始めました。

身軽になる方法を模索する日々

前述の通り、ブラックな労働環境でも働き続けざるを得なかったのは日々の生活費を稼ぐためです。
それはつまり、収入を失うことの恐怖感が根底にあったということでもあります。

休職当時もある程度の貯金はありましたし、仮に仕事を辞めても失業給付金も出るため、実際にはそう簡単にのたれ死ぬことはないはずです。

それでもやはり収入を失って貯蓄を切り崩しながら生活する恐怖感というのは、簡単に払拭できるものではないのです。
経済的不安から逃れるためには、それなりの資産を持っていないと難しいものだなと実感しました。

そこで私は、もしもまた収入を失って貯金頼りの生活になってもできるだけ貯金の寿命を延ばせるように、日々の生活コストを下げることを意識し始めました。
生活コストを下げれば、仮に転職や退職に踏みきって収入が減っても生活レベルを維持できるからです。

具体的には、マネーフォワードで家計簿をつけ始めたり、自動車保険を見直したり、不要なサブスクを解約したり、ふるさと納税を始めたりと、家計を改善するためにいろいろやりました。
その結果、家計は目に見えて改善し、それまでかなり無駄な出費を重ねていたことを感じたので家計改善に踏み出せてよかったなと思います。

しかしながら、この時の私はまだ「身軽さ」までは実感できていませんでした。
自分がもっと肝心な、根本的な何か見落としているような、そんなモヤモヤ感があったのです。

身の回りに「余計なモノ」が多いことに気付く

生活コストを下げることを意識し始めてしばらく経って、取り掛かりやすい家計改善を一通り終えると住居費を抑えられないかと考え始めました。

「家賃低いところに引っ越してみようかなー」
「でも通勤にも便利だし、部屋もきれいだから引っ越したくないなー」
「いざ引っ越すとなると荷物とかまとめるの面倒だなー」

服やモノで埋まったクローゼットや本棚を見つめながら、ボーっと考えていました。

「もし引っ越すなら、いろいろと処分しないとな」

そう思った私は、とりあえず捨てたり売ったりできそうなものがないか確認するためにクローゼットの中身を出し始めました。

すると私はあることに気が付きます。
クローゼットの中のモノの大半は「使っていないもの」で占められていたのです。

なんとなくとっておいた大学の教科書やノート
全然着ていない服
スマホやパソコンの空き箱
使わなくなったゲーム機
読んでいない漫画や本
好きで買ったけど観てないブルーレイ
大量のケーブル類
大学時代にハマった遊戯王カード
特に重要ではない大量の書類
読み返すことのない映画のパンフレット
などなど…

クローゼットには他にもいろんなものが入っていましたが、日常的に使っているものはほんの一握りでした。

この時、私は悟りました。
「俺の生活に必要なモノって、俺が思っているよりもはるかに少ないんじゃね?」

脳に雷が落ちたようなショックを受けました。

この時初めて、自分の周りには必要以上のモノであふれていたことに気づいたのです。

断捨離後に「ミニマリズム」を知る

それから私はいてもたってもいられなくなり、夢中で断捨離を始めました。

断捨離した時の話は別記事でまとめているので、もし興味があればそちらも読んでみてください。

妻から「急にどうしたの…?」と心配されるくらい、私は夢中になって断捨離していました。

あまりにも突然モノを大量に処分し始めたので、客観的に見れば自殺でもするんかと心配になるのも無理はなかったかもしれません(笑)

しかし私は、この断捨離こそが経済的・精神的に身軽になるために不可欠であることを確信していました。

一通りの断捨離を終えたとき、私のクローゼットや本棚の中身は半分以下になっていました。

それまで不必要な物のためにどれだけの家賃を払い、収納グッズを買い、掃除や管理の手間をかけていたのかを実感しました。

そして断捨離の結果クローゼットの中に残ったのは、全て私の超お気に入りの服やアイテムたちです。

大量にものを手放しましたが、喪失感は全くありませんでした。
むしろ心から気に入ったものしか残っていないクローゼットを見て、自分の空間がより洗練されて、より好きになったように感じました。

いらないものを手放したことで、自分の好きなものがより強調されるようになったのです。

断捨離を行った少し後に知ったことですが、この「自分の好きなこと・ものを最大化するために、不要なものを持たない」という思想こそが「ミニマリズム」の神髄だったのです。

ミニマリストは誰よりも自分の欲求に真摯に向き合う人

最初に「ミニマリスト」という言葉を詳しく知るきっかけになったのは、YouTubeでミニマリストである佐々木典士さんの著書『ぼくたちにもうモノは必要ない。』を紹介する動画を観たことでした。

ちょうど断捨離をした後だったので、タイトルが目に留まって再生したような感じだったと思います。

この動画をきっかけに、書籍の内容も実際に読んでみたいと思ったためすぐに電子書籍を買って読みました。

その中で綴られているミニマリストの思想や、モノをたくさん持つことで生じる閉塞感、モノを手放すことで得られる解放感は、まさに私が断捨離の中で感じていたものと全く同じだったのです。

この時私は初めて、「ミニマリズム」というものに共感し、ミニマリストの人たちがどういった考えでモノが少ない生活をしているのかを理解できた気がしました。

ミニマリストは、当初私が偏見を抱いていた「物欲の無い仙人のような人」ではなく
「欲求に真摯に向き合い、幸福を最大化するためにいらないものを手放す人」であると理解したのです。

そしてこの考え方こそ、私が欲していた「身軽さ」を実現するために必要不可な要素でした。

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ミニマリズムを取り入れた生活

断捨離を通じていきなりミニマリズムの恩恵を肌で感じた私でしたが、モノが減ったことによる身軽さ以外にも生活の中に様々な変化がありました。

一度別記事でも書いていますが、今回はミニマリズムに着目して今一度整理しています。

現在の生活がいかに恵まれているかを知った

私の現在の生活がいかに恵まれているのかを実感しました。
まさに「足るを知る」という言葉がぴったりですね。

クローゼット半分のものを手放したのに、それでもなお私には丈夫な家があり、食べ物にも困らず、家にいながら映画まで観れて、エアコンもあり、車で好きなところに行けて、スマホもパソコンもあり、なにより家族みんなで平和に暮らしています。
(きついながらも仕事もありますしね…)

こんな快適な生活が送れている時点で地球上での幸福度ランキングは超上位でしょうから、これ以上モノを欲しがっても幸福度はそりゃ上がらないわなと思ったのです。

見栄を張らなくなった

自分がいかに「見栄」のためにお金を使っていたのかを実感しました。

腕時計や服をはじめ、程度の差はあれ「他人からどのように見られるか」を意識して買っていたものが大量にあったのです。

しかし結局そういうものは全て手放すことになりました。
なぜなら見栄のために買ったものに思い入れは薄いからです。

これらの見栄アイテムをほとんど手放したことで、自分が本当に好きで思い入れのあるものが明確になり、現在では見栄を気にせず「自分の好き」を軸に買い物ができるようになったと思います。

部屋が散らかりにくくなった

単純にモノを減らしたことで部屋の中に散らばりうるものの数が少なくなったため、部屋が散らかりにくくなりました。

さらにそれまでクローゼットに収まっていなかったものを収納できるようになったため、部屋の居住スペースも広がりました。

ロボット掃除機もスイスイ動き回ることが出来るので、部屋の片づけや掃除にかける時間が減って、その分自分の好きなことをできる時間が増えたのです。

結果的にはアパートの引っ越しまでは行いませんでしたが、モノを減らしたことで引っ越しへの心理的ハードルがかなり小さくなり、また多少狭い部屋に引っ越しても全く問題ない思えるようになったことで心に余裕が生まれました。

買い物が洗練された

断捨離で捨てた多くのものは、全て過去の私が「欲しい!」と思ったものたちです。

しかし結局、思ったより使いにくいとか、もっといいものを買ったとか、様々な理由で使わなくなっていったのです。

ものを手放すことは、「もったいない」と感じます。
お金だったり、思い出だったり、手放したくない理由はいくらでも出てくるでしょう。

しかし私は覚悟を決めて断捨離したことで、過去の買い物の失敗を受け入れました。

この失敗経験を受け入れたからこそ、今では何か衝動的に買い物したくなっても「同じようなもの持ってたけど結局捨てたんだよな…」と踏みとどまることが出来るようになったのです。

なので一度減らしたものの数がリバウンドしているということも今のところありません。

手放すことは喪失ではない

断捨離がひと段落したとき、私の好きなSF映画『インターステラー』のセリフを思い出しました。

「ニュートンの運動第三の法則・・・前に進むには、後ろになにかを置いていかなければならない。」

映画「インターステラー」より


私は過去に買った多くのモノたちを後ろに置いてくる決断をしたことで、少し前に進むことが出来たのだと思います。

手放したものは全て過去の私が欲し、私の生活を支え、彩ってくれたものばかりです。
思い出深いものもたくさんあり、手放すのに勇気がいるものも多々ありました。

それでも、やはり思い出や過去のことばかりにお金や時間、労力を多く割くのは賢明ではありません。
リソースは現在と未来に振り向けるべきです。

私は断捨離とミニマリズムを通じて、モノを手放すことは喪失ではないことを知りました。
ものを手放すことは、手放すものに感謝しつつ、次の出会いの準備をすることなのです。
ものを手放しても、思い出まで捨ててしまうわけではないのですから。

ミニマリズムを「知る」だけでも価値がある

ミニマリストになることは、正直向き不向きがあると思うので「みんなモノを捨ててミニマリストになろうぜ!」とまでは言えません。

たまたま私の心理状況や価値観にカチッとハマったから、ここまでミニマリズム実践できたのだと思います。

しかし、欲しいものを手に入れているはずなのになぜか心が満たされない人、ものに人生を支配されていると感じている人は、一度ミニマリズムの考え方を知るだけでも生活に変化が表れると思います。

私はミニマリズムに触れたことで、ようやく物質的、経済的に身軽に生きていくための第一歩を踏み出だせたのです。

私たちの人生に必要なのは、「足し算」ではなく「引き算」なのかもしれませんね。

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