2016年熊本地震で被災した体験談

  • URLをコピーしました!

私は大学入学から就職して現在に至るまでの11年間を熊本で過ごしています。

たくさんの思い出が詰まった地ですが、
その中でも2016年の熊本地震で被災したことは最もインパクトの強い体験となりました。

今回は当時のことを思い出しながら、今の生活でも行っている地震への備えなども踏まえてご紹介していきます。

(時間が経って記憶が薄れてる部分もあるので、多少時系列の前後などがあるかもしれません。ご了承ください。)

被災後は時間の経過とともに徐々に状況が落ち着いていったので、オチのあるような話ではありませんが、今後皆様が地震に遭遇した時の備えとして少しでも役に立てれば幸いです。

Amazonタイムセール情報!

5月12日は母の日!

お母さんに感謝を…

執筆者情報

もりけぇ

  • 妻子持ちの30代副業サラリーマン
  • 知識0からブログを始めて独学で収益1万円/月を達成
  • 最高月間PV数は20000PV
  • ブログ運営のノウハウや便利なガジェットについて発信しています
目次

平和な日常が裏返った瞬間

2016年4月、私は大学院に進学したばかりでした。
とはいえ、学部時代と同じ研究室に進むことができたため、周囲に特に大きな変化もなく、平穏に大学院生活をスタートしました。

そのうち研究室に学部の新4年生も配属されて、私の研究テーマにも一人後輩が付くことになりました。

そして4月14日、その日は新しい後輩に、私が扱っていた実験装置の説明を一通りして、
「明日から一緒に実験していこうかー」と話していました。

私の研究室はコアタイムが17時までだったので、いつも通り17時には研究室を出て家に帰り、家でだらだらとご飯を食べて、当時契約していたhuluで映画を見ていました。

なんてことはない、いつも通りのんびり過ごしていた夜でした。

夜の21時半になる少し前のこと、突然部屋がグラグラと小刻みに揺れ始めました。

「お?地震?」

はじめは特に動揺していませんでした。
震度4くらいの地震なら何回か経験があったからです。
少ししたらおさまるだろうと思っていました。

しかし数秒経過した頃でしょうか…
真下から突き上げるような「ドンッ!!」という衝撃とともに、
家中の家具や食器が、今まで経験がないくらい「ガタガタガタガタガタガタ!!!」と音を立てて震え始めたのです。

「え、これあかんやつじゃない?」
私は状況が全く理解できていませんでした。

「地震?」「なんか爆発した?」「もしかして死ぬ?」

座っていた座椅子から立ち上がることもできず、
周りをきょろきょろしながらそんなことをグルグル考えていたと思います。

頭が静かにパニックだったせいか、揺れていた時間は正確には思い出せません。
せいぜい10~20秒くらいだったのではないかと思いますが、私にとっては3分くらい続いていたような、とても長い時間に感じました。

揺れが収まっても、1分くらいその場を動けずにいました。
今起きたことが信じられなかったのです。

幸いなことに、倒れた家具などはなく、部屋も私も無傷でした。
ようやく少し頭が動き始め、財布とスマホだけつかみ、ガスの元栓を閉めてアパートの外に出ました。

アパートの外では、私と同じように外に出てきた学生や、近隣の住民の人たちがザワザワと話していました。

私はすぐに近くに住んでいた弟と合流しました。
弟はつい1週間前に大学に入学し、引っ越してきたばかりでした。
幸い弟も特にケガなどなく無事でしたが、明らかに動揺した様子でした。

この時Twitterで地震速報を見たところ、私が感じた強い揺れは震度6弱の揺れであったことを知りました。
隣の益城町では震度7だった知り、そんな大地震の中に自分がいることが信じられませんでした。

余震を警戒してしばらくアパートの外で周囲の様子を伺っていましたが、
周囲の人たちは次第に避難所である大学方面に動き始めました。

私と弟も、余震で家具の倒れる危険性のある室内に戻るのは危険と判断し、
一度サッとアパートに戻り、貴重品だけ持って再度合流、一緒に大学方面を目指しました。

「被災したんだ」という自覚

徒歩5分ほどの距離にある大学のグラウンドに着くと、すでに多くの人が集まっていました。

開けた場所に着いたことで、もし余震が起きても倒れてくるものが少なく比較的安心だなと思ったのを覚えています。

学生や、近所に住んでいるであろう親子連れなど、老若男女みな不安そうな顔をしていました。
両親から身を案じるLINEが届いていたので、とりあえず私も弟も無傷なことを連絡しておきました。

友人たちともLINEで連絡を取り合い、とりあえず私の近しい友人、先輩後輩がみんな無事であることを確認しました。

そうしている間にも、大きめの余震が何度か発生していて、そのたびに皆、恐怖で身を固めていました。
屋外って地震が起きても気づかないことが多いんですが、この時の余震はどれも地響きが聞こえて揺れがはっきりわかるくらい大きかったです…

しばらくしてその状況に慣れてきたところで、研究室の様子が少し気になり始めました。
ちょうどその時研究室のメンバーから、「研究室にPCとかを取りに行こうと思う」と連絡があったので、私も向かうことにしました。

建物の入り口には担当教授も来ていたので、PCなどを回収しに来た旨を伝えるとすこし迷った後に
エレベーターは危ないから階段で行くこと、万が一に備えて教授含めて皆まとまって行動することを条件に了承してくれました。

何人かの研究室メンバーと合流した後、階段で4階と10階にある研究室まで登りました。

階段の壁に大きな亀裂が走っていたため、倒壊するんじゃないかと思ってめっちゃ怖かったです…

私は4階の研究室に自分のノートPCを置いていたので、まずは4階の部屋に寄って手早く回収しました。
4階は固定していない棚が倒れていた以外は目立った被害はなさそうでした。

地震で机の上の棚が転落した室内
主な拠点であった4階の研究室

しかしその一方で、10階の実験室は酷い有様でした。
友人の実験装置は机から落下し、室内のあらゆる物の位置がシャッフルされていました。
床置きされていた大型の実験設備すらずれていたくらいですから、揺れが相当大きかったことが伺えました。

地震であらゆるものが転倒し散らかった実験室
2016年04月14日 22時50分ごろ撮影
あらゆるものが散乱して足の踏み場を確保することすら困難だった

いつまた余震がくるかもわからなかったので、パソコンなどの最低限のものだけ回収して皆で急いで建物から出ました。

しばらく駐車場で弟や友人たちと話し、この後どう過ごすかを考えました。
選択肢としては2つありました。

  1. 大学の体育館に避難する
  2. 自宅アパートに戻る

今後の余震のことを考えると、大学の体育館にいたほうが安全な気もしましたが、
自宅アパートが最初の大きな地震の後、外観上建物への被害がなかったこと、食料品や水、電気、快適な寝床も揃っていたことから、自宅アパートに戻って休んだ方が精神的にも物資的にも良いのではないかと思い、弟と自宅に帰ることにしました。

とはいえ、帰ってもしばらくは眠る気にならず、しばらくずっとテレビでニュースを見ながら、貴重品などの荷物をまとめていました。

テレビの情報から、今回の地震が熊本県の中心部を震源とした直下型大地震であることを知り、同時に今自分がこの大地震で「被災した」という事実を実感しました

この時私は、緊張はしつつも「しばらくは余震が続くかもしれないけど、まぁちょっとずつ収束していくだろう。友達とか弟が無事でよかったなー」と、この状況が徐々に終息することを前提にこの後のことを考えていました…

終息を期待していた翌日

結局深夜の4時くらいに疲れに負けて寝落ちしましたが、緊張が残っていたのか朝の8時くらいには目を覚ましました。

幸いなことに、電気、水道、ガス、ネットなどの生活インフラは生きていましたが、
念のため水と食料を確保しておきたいと思い、起きて間もなく弟と自転車で買い出しに出かけました。

格安スーパーで水のペットボトルと何らか食料を買うことができましたが、
同じことを考える人も多かったようでどの店も棚の在庫はかなり少なくなっていました。

その日はさすがに研究室も休みになったので、学部の友人たちと合流してお互いの無事を喜びながら当時はまっていた遊戯王などに興じて過ごしました。

日中は特に問題なく時間が過ぎ、そのまま夜を迎えて友人たちも家に帰っていきました。

この日、長崎にいる両親が私たちを心配して車で迎えに行こうかという申し出がLINEで来ていました。

しかし私はその申し出を断りました。

なぜなら、熊本全域の道路がどの程度ダメージを受けているか把握できておらず、そもそも無事に熊本に来られる状況なのかすら分からなかったからです。

私と弟を迎えに来たために両親まで被災してしまっては、ミイラ取りがミイラ状態ですからね。

それにこの時の私は、最初の大きい地震を無事に乗り切ったことで、最悪の状況はすでに過ぎ去ったと考えていました。

完全な不意打ちだった「2回目の大地震」

最初の地震から24時間以上が経過し、4月16日を迎えた深夜0時を過ぎても私は何となく眠る気になれず起きていました。

しかしさすがに深夜2時に差し掛かっていたので、さすがに寝ようかなと考え始めたとき…

突然グラグラと家が揺れ始めました。
嫌な予感がして、床にしゃがんで身構えました。

次の瞬間
「ガタガタガタ!!!」「ドドドドドド!!!」「ギシギシギシ!!!」
激しい音が混ざりながら建物全体が大きく揺れました。

「あれ?昨日の揺れよりデカくね…?」
本能的に命の危険を感じる恐怖感でした。

人間て恐怖を感じるとその場から動けなくなるって本当ですね。

そして、「バチン!」という音とともに目の前が真っ暗になりました。

「あ、これ死んだわ」
素直にそう思いました。

どのくらい揺れていたのかは分かりません。
揺れが収まったあとも、しばらくその場を動けずにいました。

周囲は何の明かりもなく、自分が目が見えているのか、見えていないのかすら判別できないくらいの暗闇でした。

ポケットにスマホの感覚があったため、スマホの画面をつけてようやく自分の目が無事なことと、停電したことを確信しました。
路上の街頭すら消えていたので、家の周辺は本当に真っ暗闇だったのです。

すぐに弟のことが心配になり、予め用意していた荷物とライトをつかんで弟を迎えに行きました。

弟も外に飛び出してきており、無事に合流できました。

しかし、2回目の大地震はお互いに予想外の出来事で、動揺を隠しきれませんでした。

その後再び大学の駐車場に行き、友人たちとも合流して明け方までそこで過ごしていました。

SNSで情報収集してみると、どうやら私が感じた揺れは震度6強だったようで、
「なんで昨日より大きい地震が起こるんだ…」と困惑してしまいました。

それまでの経験から、地震は最初の揺れが一番大きくて、その後は余震として小さい揺れが続きながら徐々に収束していくものだと思っていたからです。

その間も大きな余震が何度も発生しており、一晩中地鳴りが響いていました。

私たちはまた大きい揺れが来るんじゃないかと、完全に疑心暗鬼になってしまいました。

さすがに私たちはその日は家に戻る気になれず、空が明るくなるまで大学の駐車場で過ごしました。

生活インフラの半分を失った生活

明け方なっておそるおそる自宅に戻り、部屋の状況を確認しました。

  • 建物…外観、内装ともに目立った損傷なし
  • 電気…明け方には復旧していた
  • ネット回線…問題なく使用可能
  • 水道…停止
  • ガス…停止

電気はいつの間にか復旧しており、ネット回線も生きていたので、幸いなことに情報収集などには困らなそうでした。

しかし水道、ガスは止まっていたので、昨日のうちに飲み水を買ってきておいてよかったなと思いました。
また、前日のうちにバスタブに水を貯めていたので、トイレを流す水などもしばらくは問題なさそうです。

ひととおり室内を確認したあたりで、疲労が限界に達していたのかベッドにもぐりこんで寝落ちしてしまいました。
前日もあまり寝ていなかったこともあってか、その後結局お昼過ぎくらいまで眠っていました。

起きてからは弟やいつもの友人たちと合流し、お互いの家の状況などを聞いた後に手分けして食料の買い出しなどに行ったり、テレビやネットから災害情報を集めたりしていました。

友人たちの家もそれぞれ何かしら被害を受けていましたが、
中でも親友のSの部屋は悲惨な状況だったようで、大きな本棚が倒れてしまい寝床すら確保できない状況でした。

なので状況が落ち着くまで私の家に泊まることを提案し、そのうち他の友人たちや弟も日中は自然と私の家に集まるようになったため、合計7人で協力して食料や情報収集にいそしむサバイバル生活が始まったのです。

サバイバルと言っても、季節が春で比較的温暖だったこと、皆寝床には困らなかったこともあり、割と精神的には余裕があった方だと思います。

非日常感が強い生活だったんですが、友達や弟と協力して過ごすことができたため、
気持ちが落ち込んだりするようなことはなかったように思います。

しかし、日常的に使っているインフラを失ったことで、困ったことや発見も多くありました。

意外な非常食の発見

被災後数日間は、日中に手分けして食料の買い出し行きました。

しかしコンビニやスーパーへの食糧供給が不安定になっており、なかなか米やパン、レトルト食品のような食べ物を確保するのに苦労しました。

そんな中でも、TwitterなどのSNSを駆使して、食料がありそうな店の情報を集めてみんなで情報交換をしていました。
デジモノに強いコミュニティにいてよかったなぁとこの時心から思いました。

そんなある時友人の一人が「フルグラ」を買ってきました。

被災時の食料としておにぎりやパンを買っていく人は多かったのですが、どこの店舗にもフルーツグラノーラは大量に余っていたそうで、保存のきく食料になるのではとの見立てで勝て来てくれたのです。
実際のところ、フルグラは非常食としてかなり優秀でした。

  • 調理不要で食べられる
  • 賞味期限が長い
  • いざとなったら素手でつまみながら食べられる
  • ドライフルーツなども入っているため味に飽きにくい

被災直後の数日はご飯やパンがほとんど手に入らなかったため、私たちはフルグラで命を繋いだといっても過言ではありません。
本当にありがとう、フルグラ…

SOLIMO(ソリモ)
¥950 (2024/05/10 10:40時点 | Amazon調べ)

シャワー浴びれない問題

我が家は水道とガスが止まっていたので、シャワーを浴びることができませんでした。

電気、ガス、水道の復旧具合は近所でも微妙に状況が違ったので、
もしかしたら友人の家でどこかガスと水道が復旧している家が無いかと思い尋ねてみましたが、残念ながら地震が収まって3日程度経過してもまだ復旧している家はありませんでした。

当時は4月でさほど暑くはないとはいえ、数日風呂に入れない状況はさすがに気持ちが悪くなるものです。

そんな時、「大学の体育館でシャワーが浴びれる、お湯が出る」という噂を聞き、急いで行ってみました。

シャワーは出ました。しかし残念なことにお湯は出なかったのです…

それでも体をさっぱりさせたかったので、冷水シャワーで全身を洗い流しましたが、
案外それだけでもかなりさっぱりしました。

被災したのが冬だったらヤバかったなと切実に感じましたね…

結局、地震発生から1週間くらいで自宅の水道は復旧したのですが、ガスの復旧には10日程度かかったので温かいシャワーを浴びれない日々が続きました。

その間は冷水シャワーで我慢するか、汗拭きシートを駆使するか、どうしても温かいお湯で体を洗いたいときには、電気ケトルでお湯を沸かし、水で温度を調節しながらチビチビと体を洗っていました。

「お湯をジャブジャブ使える生活ってマジでありがたいんだな」と、水道、ガスインフラの偉大さを痛感しましたね…

少しずつ戻ってきた日常

被災後2週間弱経つと、我が家も水道・ガスが復旧し、家の中の暮らしに関しては元のまんまの生活ができるようになりました。

ある時ふとお湯が出ることに気づいたときには思わず「よっしゃあああああ!!!」と叫んで速攻で温かいシャワーを浴びました(笑)

また、ガスも復旧したことでキッチンのコンロも使えるようになりました。

インフラ復旧のお祝いとして、スーパーで友人の人数分のレトルトカレーを買ってきて、
米を炊いて友人たちとカレーパーティーをやりました。

久しぶりに温かいお米を食べられたこともあり、この時のレトルトカレーはものすごく美味しく感じました…。

水道止まっており貴重な飲み水でお米を研ぐわけにもいかなかったので、被災後は全然炊き立てのごはんって食べれなかったんですよ。

そんなこんなで、インフラの復旧とともに少しずつ、しかし着実に日常生活を取り戻していきました。
今でも熊本地震の爪痕は県内のいたるところに残っているんですけどね…

余談で、驚きというか少し後悔していることなんですが、被災当時は生活の様子とか町の様子の写真を全然撮っていなかったんですよね…
普段はなにかと写真を撮る私なのですが、震災当時のことを振り返ろうとGoogleフォトを見返しても全然写真が無くてびっくりしました。

写真を撮る余裕もないくらい、当時は必死で生活していたってことですかね。

実家には結局地震から3週間ほど経って、生活がおおむね落ち着いたころに帰りました。

とはいえ高速道路が使えなかったためJRとフェリーを乗り継いでの帰省だったうえ、線路のダメージの関係でJRも鈍行並みのスピードしか出せずめっちゃ時間がかかりました。

両親と祖父母にはこまめに近況報告していましたが本当に心配していたようで、私たちの顔を見てとても安心した様子でした。

再度熊本に戻ると、研究室や親友Sの家の片付けなどをやりました。

研究室を片付けて教授の朝礼が再開したことで、ようやくいつもの日常が返ってきた感じがしました。

散らかった実験室
2016年5月9日撮影
久しぶりにみんなで研究室に集まり、頑張って片付けました…

今、気を付けていること

熊本地震から6年が経過しますが、当時の恐怖感なども時間経過とともにかなり薄れてしまったと思います。

しかし、現在の生活でも被災当時の経験から気を付けていることがいくつかあります。

日本で生活している以上、今後もいつどこで地震に遭遇するか分からないため、この記事を読んでくれている皆様の参考になることもあるかもしれません。

緊急用のライトを常備

2度目の大きな地震で家が停電した時、私は心から素直に「あ、俺死んだわ」と思いました。
その時の絶望感や無力感は今でもはっきりと覚えているんですよね。

人間は暗闇に対して本能的に恐怖を覚えるそうです。

突然、停電してしまった場合体が恐怖で固まってしまい、緊張が解けた後も視界が効かなくなって避難することすらままなりません。

停電時にスマホが手元にあればライト代わりになるため大丈夫だと思います。

しかしスマホすら手元にない場合に備えて、暗闇でも壁伝いでたどり着ける場所にライトを置いておくことは、命を守るための対策として今でも行っています。

個人的には、停電時のライトは充電式よりも下記リンクのような乾電池式の方が安心です。
停電時は充電できませんからね。

自治体のハザードマップを見るようになった

自分が被災者になったことで危機管理意識が高まり、自治体のハザードマップを見るようになりました。

例:熊本市ハザードマップ

地震以外にも洪水や津波など、自分が住んでいる地域にどのような災害リスクがあるのか、有事場合にはどのように行動をすればよいのかを普段から考えることが大切です。

住まいを選ぶ際にも、ハザードマップを確認して災害リスクの小さい地域に住むのがベターですね。

食料のローリングストック

被災した際には近隣のコンビニなどから一気に食料が消えました。
なので普段から、数日分の食料は家に備蓄しておいた方がいいと思います。

なので私の家ではカップ麺などのインスタント食品をローリングストックしています。

「ローリングストック」とは少し多めに食料などを買っておき、使った分だけ補充することで一定量の食料ストックを維持する方法のことです。

あまり知られていませんが、カップ麺は冷水でも10分程度漬けることで通常通り食べることができます。
美味しいかと言われると微妙ですが災害時に命がかかっている場面で贅沢は言っていられません。

前述のフルグラは朝ごはん代わりにもなるため、個人的にはかなりおすすめですよ!

SOLIMO(ソリモ)
¥950 (2024/05/10 10:40時点 | Amazon調べ)

誰しも被災者になり得る

地震の発生を正確に予測することは不可能です。
広く知られている通り日本は地震大国であるため、どこで暮らしていても地震に遭遇する可能性はあります。

緊急持ち出し袋の準備や、ハザードマップや避難所の確認など、個人レベルでできる災害対策はたくさんあると思います。

みなさまの身にこのような大災害が降りかからないことを祈っていますが、
いざというときのために自分の身や、愛する人を守るために、普段からできる対策・準備をやっておいて困ることはありません。

私は完全ノーガードだったので、被災時は本当にその場その場で次の動きを考えなくてはならずとても不安でした。

このブログを読んでくださっている皆様には、私と同じような苦労をしてほしくないと思い今回の記事を書きました。

この体験談が、少しでもみなさまのお役に立てれば幸いです。

ブログを始めてみたい方へ!

もりけぇBlogでは初心者の方にも分かりやすいようにブログ運営のノウハウを発信しています!

私は普通の会社員ですが独学でブログを始めて完全初心者から月間20,000PVブログ月収1万円を達成しました。
ブログは今も成長中です!

ブログから収入を得られるようになったことで「会社の外でも生きていけるかも」と思えるようになり、まだ途上ながらも人生が変わり始めた感覚があります。

ぜひこの機会に、自分の得意なこと・好きな分野でブログを始めてまずは月1万円の副業収入を目指してみませんか?

あなたの小さな一歩が人生を変えるきっかけになるかもしれません。

キャンペーン情報

初心者にも大人気の大手レンタルサーバー「ConoHa WING(コノハウィング)」では
期間限定キャンペーンでサーバー利用料金が通常料金から大幅割引中!

詳細は以下のキャンペーン特設ページをご確認ください!

ぜひこのお得な機会にWordPressブログを始めてみませんか?

もりけぇ

お得な今がチャンスです!

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

この記事をシェア
  • URLをコピーしました!
目次