2016年熊本地震 二夜連続で被災した体験談

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私は大学入学から社会人になった現在まで、14年間を熊本で過ごしています。

もはや第2の故郷となった熊本ですが、その中で最もインパクトが強い経験は2016年の熊本地震で被災したことです。

この記事では、当時の体験談や、今も注意している地震への備えなどをご紹介します。
(時間が経って記憶が薄れてる部分もあるので、時系列は多少前後することがあるかもしれません。ご了承ください。)

ちなみに被災後は時間の経過とともに徐々に生活が落ち着いていったので、オチのあるような話ではありません。
今後皆様が地震に遭遇した時の備えとして、少しでも役に立てれば幸いです。

目次

平和な日常が崩れた瞬間

2016年4月、私は大学院に進学したばかりでした。
学部時代と同じ研究室に進むことができたため、周囲に特に大きな変化もなく、学部生活の延長で平穏に大学院生活が始まりました。

研究室に学部の新4年生も配属されて、私の研究テーマにも一人後輩が付くことに。
4月14日、その日は新しい後輩に、私が扱っていた実験装置の説明を一通りして、「明日から一緒に実験していこうかー」と話していました。

私の研究室はコアタイムが17時までだったので、いつも通り17時には研究室を出て家に帰り、家でだらだらとご飯を食べて、夜までサブスクで映画を見ていました。

なんてことはない、いつも通りの夜でした。

夜の21時半になる少し前のこと、突然部屋がグラグラと小刻みに揺れ始めます。

「お?地震?」

はじめはあまり気にしていませんでした。
震度4くらいの地震なら何回か経験があったからです。
少ししたらおさまるだろうと楽観的に思っていました。

しかし数秒経過した頃でしょうか…
真下から突き上げるような「ドンッ!!」という衝撃とともに、
家中の家具や食器が、今まで経験がないくらい「ガタガタガタガタガタガタ!!!」と音を立てて震え始めたのです。
家の構造自体が揺れているようなゴゴゴゴゴゴゴという地響き。

「え、これあかんやつじゃない…?」
私は状況が全く理解できていませんでした。

「地震?」「なんか爆発した?」「もしかして死ぬ?」

座っていた座椅子から立ち上がることもできず、
周りをきょろきょろしながらそんなことをグルグル考えていたと思います。

頭がパニックだったせいか、揺れていた時間は正確には思い出せません。
実際は10~20秒くらいだったのだろうと思いますが、私にとっては3分くらい続いていたような、とても長い時間に感じました。

揺れが収まっても、1分くらい座椅子に座ったまま動けずにいました。
今起きたことが信じられなかったのです。

幸いなことに、倒れた家具などはなく、部屋も私も無傷でした。
ようやく少し頭が動き始め、財布とスマホだけつかみ、ガスの元栓を閉めてアパートの外に出ました。(ここだけ妙に冷静でした)

アパートの外では、私と同じように外に出てきた学生や、近隣の住民の人たちがザワザワと不安そうにしていました。

私はすぐに近くに住んでいた弟と合流。
弟はつい1週間前に熊本大学に入学し、引っ越してきたばかりでした。
幸い弟も特にケガなどなく無事でしたが、明らかに動揺した様子。

この時Twitter(現X)で地震速報を見たところ、私が感じた強い揺れは震度6弱だったことを知りました。
隣の益城町では震度7だった知り、そんな大地震の真っただ中に自分がいることが信じられませんでした。

震源地は沖合ではなく内陸で、私がいたエリアは津波のリスクはなさそうだったためその点は少し安心したのを覚えています。

余震を警戒してしばらくアパートの外で周囲の様子を伺っていましたが、どうやら周囲の人たちは次第に避難所である熊本大学方面に動き始めたようです。

私と弟も、余震で家具の倒れる危険性のある自宅に戻るのは危険と判断し、一度サッとアパートにから貴重品だけ回収し、一緒に大学のグラウンドを目指しました。

「被災したんだ」という自覚

徒歩5分ほどの距離にある熊本大学のグラウンドに着くと、すでに多くの人が集まっていました。

開けた場所に着いたことで、もし余震が起きても倒れてくるものが少なくちょっと安心だなと思ったのを覚えています。

学生や、近所に住んでいるであろう親子連れ、老若男女みな不安そうな顔をしていました。
両親から身を案じるLINEが届いていたので、とりあえず私も弟も無傷なことを連絡しました。

友人たちともLINEで連絡を取り合い、とりあえず私の近しい友人、先輩後輩がみんな無事なことも確認。

そうしている間にも、大きめの余震が何度か発生していて、そのたびに皆、恐怖で身を固めていました。
屋外って地震が起きても気づかないことが多いんですが、この時の余震はどれも地響きが聞こえて揺れがはっきりわかるくらい大きかったです…

しばらくしてその状況に慣れてきたところで、研究室の様子が少し気になり始めました。
研究データや他にも大事なデータがいろいろ入ったPCだけでも回収しておきたいなと思ったわけです。
ちょうどその時研究室のメンバーから、「研究室にPCとかを取りに行こうと思う」と連絡があったので、私も研究室がある研究棟に向かうことにしました。

研究棟の入り口には担当教授も来ていました。
PCなど貴重品だけ回収しに来た旨を伝えると、すこし迷った後に
「エレベーターは危ないから階段で行くこと、万が一に備えて教授含めて皆まとまって行動すること」を条件に了承してくれました。

何人かの研究室メンバーと合流した後、階段で4階と10階にある研究室まで登りました。
階段の壁に大きな亀裂が走っていたため、倒壊するんじゃないかと思ってめっちゃ怖かったです…

私は4階の研究室に自分のノートPCを置いていたので、まずは4階の部屋に寄って手早く回収しました。
4階は固定していない棚が倒れていた以外は目立った被害はなさそうでした。

地震で机の上の棚が転落した室内
主な拠点だった4階研究室

しかし10階の実験室は酷い有様…
同期の実験装置は机から落下し、室内のあらゆる物の位置がシャッフルされていました。
床置きされていた大型の実験設備すらずれていたくらいですから、揺れが相当大きかったことが伺えます。

地震であらゆるものが転倒し散らかった実験室
2016年04月14日 22時50分ごろ撮影
あらゆるものが散乱して足の踏み場すらなかった

いつまた余震がくるかもわからなかったので、最低限のものだけ回収して皆で急いで建物から出ました。

しばらく駐車場で弟や友人たちと話し、この後どう過ごすかを考えました。
選択肢としては2つ。

  1. 大学の体育館に避難する
  2. 自宅アパートに戻る

大学の体育館にいたほうが無難な気もしましたが、自宅アパートが最初の大きな地震の後、外観上建物への被害がなく、今後の余震で倒壊する危険性が無さそうだったこと、食料品や水、電気、快適な寝床も揃っていたことから、自宅アパートに戻って休んだ方が精神的にも物資的にベターかと思い、弟と一緒に自宅に帰ることに。

とはいえ、帰ってもしばらくは眠る気にならず、しばらくずっとテレビでニュースを見ながら、貴重品などの荷物をまとめていました。

テレビの情報から、今回の地震が熊本県の中心部を震源とした最大深度7の直下型大地震であることを知り、同時に今自分がこの大地震で「被災した」という実感がわいてきました

この時私は、緊張はしつつも「しばらくは余震が続くかもしれないけど、まぁちょっとずつ落ち着くだろう。友達とか弟が無事でよかったなー」と、このまま終息すると思っていました…

その後は結局深夜の4時くらいに疲れに負けて寝落ちしましたが、緊張のせいかあまり長時間は眠れず、朝の8時くらいには目を覚ましました。

幸いなことに、電気、水道、ガス、ネットなどのインフラは生きていましたが、念のため水と食料を確保しておきたいと思い、起きて間もなく弟と自転車で買い出しへ。
格安スーパーで水のペットボトルと何らか食料を買うことができましたが、同じ考えの人も多かったようで、どの店も棚の在庫はすでにかなり少なくなっていました。

買い出し中に町の様子を眺めてみましたが、少なくとも私が通ったエリアでは倒壊した建物は無かったように思います。

その日はさすがに研究室も休みになったので、学部の友人たちと合流してお互いの無事を喜びながら当時身内で流行っていたカードゲームなどに興じながら昨晩の出来事に「さすがにビビったねー」と話していました。

日中は特に何も起きず、そのまま夜を迎えて友人たちも自宅に帰っていきました。

この日、長崎にいる両親が私たちを心配して車で迎えに行こうかという申し出がLINEで来ていました。
しかし私はその申し出を断りました。
熊本全域の道路がどの程度ダメージを受けているか把握できておらず、そもそも無事に熊本に来られる状況なのかすら分からなかったからです。
私と弟を迎えに来たために両親に何かあったら、元も子もないですからね。

それに、最初の大きい地震を乗り切ったことで、最悪の状況はすでに過ぎ去ったと考えていたのもあります。

完全な不意打ちだった「2回目の大地震」

最初の地震から24時間以上が経過し、4月16日を迎えた深夜0時を過ぎても私は何となく眠る気になれず起きていました。

しかしさすがに深夜2時に差し掛かっていたので、さすがに寝ようかなと考え始めたとき…

突然グラグラと家が揺れ始めました。
嫌な予感がして、床にしゃがんで身構えました。

次の瞬間
「ガタガタガタ!!!」「ドドドドドド!!!」「ギシギシギシ!!!」
激しい音が混ざりながら建物全体が大きく揺れました。

「あれ?昨日の揺れよりデカくね…?」
本能的に命の危険を感じていました。

恐怖でその場を動けなくなっていました。
足がすくむってこういうことなのかって

そして、「バチン!」という音とともに目の前が真っ暗になりました。

「あ、これ死んだわ」
そう思ったのを覚えています。

どのくらい揺れていたのかは分かりません。
揺れが収まったあとも、しばらくその場を動けずにいました。

周囲は何の明かりもなく、自分の目が見えているのか、見えていないのかすら判別できないくらいの暗闇でした。

ポケットにスマホの感覚があったため、スマホの画面をつけてようやく自分の目が無事なことと、停電したことを確信しました。
部屋のブレーカーが落ちるよくある停電とはわけが違って、エリア全体の停電って段違いに真っ暗なんだと初めて知りました。
路上の街頭や近隣の建物すべての明かりが消えていたので、家の周辺は本当に真っ暗闇だったのです。

すぐに弟のことが心配になり、予め用意していた荷物とライトをつかんで弟を迎えに行きました。
弟も外に飛び出してきており、無事に合流できました。

しかし2回目の大地震は本当に予想外の出来事で、お互い動揺を隠しきれませんでした。
その後は大学の駐車場に行き、友人たちとも合流して明け方までそこで過ごしていました。

SNSで情報収集してみると、どうやら私が感じた揺れは震度6強だったようです
「なんで昨日より大きい地震が起こるんだ…」とみな困惑してしまいました。
経験上、地震は最初の揺れが一番大きくて、その後は余震として小さい揺れが続きながら徐々に終息していくというのが一般的でした。

その間も大きな余震が何度も発生しており、一晩中地鳴りが響いていました。
私たちはまた大きい揺れが来るんじゃないかと、完全に疑心暗鬼になってしまいました。

さすがにその日は家に戻る気になれず、空が明るくなるまで大学の駐車場で過ごしました。

生活インフラの半分を失った生活

4月16日の明け方なっておそるおそる自宅に戻り、部屋の状況を確認しました。

  • 建物…外観、内装ともに目立った損傷なし
  • 電気…一度停電し、明け方には復旧していた
  • ネット回線…問題なく使用可能
  • 水道…停止
  • ガス…停止

電気はいつの間にか復旧しており、ネット回線も生きていたので、幸いなことにスマホなどでの情報収集などには困らなそうでした。
アパート自体と電気が無事だったのは不幸中の幸いといった感じ。

しかし水道、ガスは止まっていたので、昨日のうちに飲み水を買ってきておいてよかったなと思いました。
前日のうちにバスタブに水を貯めていたので、トイレを流す水などもしばらくは問題なさそうです。

ひととおり室内を確認したあたりで、疲労が限界に達していたのかベッドにもぐりこんで寝落ちしてしまいました。
前日もあまり寝ていなかったこともあってか、その後結局お昼過ぎくらいまで爆睡。

起床後は弟やいつもの友人たちと合流し、お互いの家の状況などを聞いた後に手分けして食料の買い出しなどに行ったり、テレビやネットから災害情報を集めたりしていました。

友人たちの家もそれぞれ被害を受けていました。
特に親友Sの部屋は悲惨なだったようで、大きな本棚が倒れてしまい寝床すら確保できない状況。
なので状況が落ち着くまで私の家に泊まることを提案しました。

そのうち他の友人たちや弟も日中は自然と私の家に集まるようになったため、合計7人で協力して食料や情報収集にいそしむサバイバル生活が始まりました。

サバイバルと言っても、季節的に比較的温暖だったこと、皆それぞれ寝床は確保できる状況だったのは幸いでした。
友達や弟と一緒に過ごすことができたため、精神的にはかなり負担が減っていたように思います。

しかし日常的に使っているインフラを失ったことで、困ったことや発見も多くありました。

意外な非常食の発見

被災後数日間は、日中に手分けして食料の買い出し行きました。

しかしコンビニやスーパーへの食糧供給が不安定になっており、米やパン、レトルト食品のような食べ物はなかなか確保できません。

そんな中でも、TwitterなどのSNSを駆使して、食料がありそうな店の情報を集めてみんなで情報交換をしていました。
デジモノに強いコミュニティにいてよかったなぁとこの時心から思いました。

そんなある時友人の一人が「フルグラ」を買ってきました。

被災時の食料としておにぎりやパンを買っていく人は多かったのですが、どこの店舗にも意外とフルグラのようなシリアル系は大量に余っていたそうで、保存のきく食料になるのではと買ってきてくれたのです。
実際のところ、フルグラは非常食としてかなり優秀でした。

  • 調理不要で食べられる
  • 賞味期限が長い
  • 素手で食べられる
  • ドライフルーツなども入っているため味に飽きにくい

被災直後の数日はご飯やパンがほとんど手に入らなかったため、私たちはフルグラと水で命を繋いだといっても過言ではありません。
本当にありがとう、フルグラ…

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シャワー浴びれない問題

我が家は水道とガスが止まっていたので、温かいシャワーを浴びることができませんでした。

電気、ガス、水道の復旧具合は近所でも微妙に状況が違ったので、もしかしたら友人の家でどこかガスと水道が復旧している家が無いかと思い尋ねてみましたが、残念ながら地震が収まって3日が経過してもまだ復旧している家はありませんでした。

当時は4月で比較的涼しい環境だったとはいえ、数日風呂に入れない状況はさすがに気持ちが悪くなるものです。

そんな時、「大学の体育館でシャワーが浴びれる、お湯が出る」という噂を聞きつけ急行。
たしかにシャワーは出ました。しかし残念なことにお湯は出なかったのです…

それでも体を綺麗にしたかったので、冷水シャワーで全身を洗い流しました。
案外それだけでもかなりさっぱりするものですね。

被災したのが冬だったらヤバかったなと思います。

結局、地震発生から数日で自宅の水道は復旧したのですが、ガスの復旧には10日程度かかったので温かいシャワーを浴びれない日々が続きました。

その間は冷水シャワーで我慢するか、汗拭きシートを駆使するか、どうしても温かいお湯で体を洗いたいときには、電気ケトルでお湯を沸かし、水で温度を調節しながらチビチビと体を洗っていました。

「お湯をジャブジャブ使える生活ってマジでありがたいんだな」と、水道、ガスインフラの偉大さを痛感しましたね…

少しずつ戻ってきた日常

被災後2週間弱経つと、我が家も水道・ガスが復旧し、家の中の暮らしに関しては元のまんまの生活ができるようになりました。

ある時ふとお湯が出ることに気づいたときには思わず「よっしゃあああああ!!!」と叫んで速攻で温かいシャワーを浴びました(笑)

また、ガスも復旧したことでキッチンのコンロも使えるようになり、インフラ復旧のお祝いとしてスーパーで友人の人数分のレトルトカレーを買ってきて、米を炊いて友人たちとカレーパーティーをやりました。

久しぶりに温かいお米を食べられたこともあり、この時のレトルトカレーはものすごく美味しかった…
水道止まっている間は貴重な飲み水でお米を研ぐのもはばかられたので、被災後は炊き立てのごはんを食べられてなかったのです。

そんなこんなで、インフラの復旧とともに少しずつ、日常生活を取り戻していきました感じです。

地震から3週間ほど経って、生活がおおむね落ち着いたころに一度実家に帰りました。
高速道路が使えなかったためJRとフェリーを乗り継いでの帰省だったうえ、線路も地震でダメージを受けていたためJRも鈍行並みのスピードしか出せずめっちゃ時間がかかりました。

両親と祖父母にはこまめに近況報告していましたが本当に心配していたようで、私たちの顔を見てとても安心した様子でした。

再度熊本に戻ると、研究室や親友Sの家の片付けなどをやりました。
研究室を片付けて教授の朝礼が再開したことで、ようやくいつもの日常が返ってきた感じがしました。

余談で、少し後悔していることなんですが、被災当時は生活の様子とか町の様子の写真を全然撮っていなかったんですよね…
普段はなにかと写真を撮る私なのですが、震災当時のことを振り返ろうとGoogleフォトを見返しても全然写真が無くてびっくりしました。
写真を撮る余裕もないくらい、当時は必死で生活していたってことですかね。

散らかった実験室
2016年5月9日撮影
久しぶりにみんなで研究室に集まり、頑張って片付けました…

しかし現在でも熊本地震の爪痕は県内のいたるところに残っています…

崩落した旧阿蘇大橋の遺構
2024年撮影
熊本地震時の土砂崩れ跡
熊本-阿蘇間の道路が長らく寸断されていた
2024年撮影

備蓄や備えについて

熊本地震からかなり時間が経ちますが、当時の恐怖感なども時間とともにかなり薄れてしまったと思います。

しかし、現在の生活でも被災当時の経験から気を付けていることがいくつかあります。

日本で生活している以上、今後もいつどこで地震に遭遇するか分からないため、この記事を読んでくれている皆様の参考になることもあるかもしれません。

防災リュックを買った

災害に備えていろいろ必要な備品を個別で買うより、防災リュックを一つ買っておくのが手っ取り早くておすすめです。

必要なものが初めからセットになっていて、頑丈なリュックに入った状態で届くので有事の際はこれを担げば最低限の物資を持って避難できます。
種類によっては水や食料もセットになっているものもあるため、自分が持てる重量などと相談しながら買ってみるのがおすすめ。

もりけぇ

私はアイリスオーヤマの防災リュックを玄関に常備しています。

\防災ツールがリュックにまとまってて安心/

最低でも緊急用ライトを常備

被災直後の避難やその後の停電対策に、ライトは必須だと感じました。

2度目の大きな地震で家が停電した時、「あ、俺死んだわ」と思いました。
その時の絶望感や無力感は今でもはっきりと覚えています。

真っ暗闇の中では人間怖くてまじで動けなくなるものです。
逆に言えば、少しでも明かりさえあれば外に出るなり何かしらのアクションが起こせます。

今はスマホをライト代わりにできるとは思いますが、スマホすら手元にない場合に備えて、暗闇でも壁伝いでたどり着ける場所に(玄関など)にライトを常備しておくことは、命を守るための最低限の対策として今でも行っています。

個人的には、停電時のライトは充電式よりも下記リンクのような乾電池式の方が安心です。
停電時したら充電できませんからね。

電池は長期的な保管を考えると、エネループのような充電池がおすすめ。
自然放電で残量が減りにくく、何度も繰り返して使えるため普段使いもしやすいです。

スマホ&モバイルバッテリーは必須

スマホは情報収集や連絡用に必須です。

実際私も、被災直後の情報収集やその後の行動を決定するために駆使していました。
停電対策も含めて、モバイルバッテリーも持っておくといいでしょう。

モバイルバッテリーは数日間避難所で生活して充電できなくても困らないよう、スマホを約2回分フル充電できる10000mAh以上の容量があると安心かなと思います。

もりけぇ

ケーブル一体型だと持ち物が減るのでさらに楽です

食料のローリングストック

食料のストックは日ごろからやっておくことをおすすめします。

被災した際には近隣のコンビニなどから一気に食料が消えました。
なので普段から、数日分の食料は家に備蓄しておいた方がいいと思います。

なので私の家ではカップ麺などのインスタント食品をローリングストックしています。

ローリングストックとは少し多めに食料などを買っておき、使った分だけ補充することで一定量の食料ストックを維持する方法のことです。

例えばカップ麺は冷水でも10分程度漬けることで通常通り食べることができます。
美味しいかと言われると微妙ですが災害時に命がかかっている場面で贅沢は言っていられません。

前述のフルグラは朝ごはん代わりにもなるため、個人的にはかなりおすすめ。

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飲み水の備蓄

水道が数日使えない間は、市販の水や自衛隊から支給される水を飲んで凌いでいました。
私の場合は運よく近所で水を調達できましたが、もっと長期間水道が止まっていたらかなりしんどかったと思います。

水のストックは場所を取るのであまり大量に抱えておくことは難しいかもしれませんが、ローリングストックの一環として2Lのペットボトルを数本は持っておいた方がいいと思います。

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家具の位置を気にするようになった

熊本地震で私の家や家財は特に被害を受けることは無かったものの、家具が激しく震える様子を見てからは家具のレイアウトなどを少し気にするようになりました。

具体的には…
  • 寝ているところの近辺に倒れるような家具等を置かない
  • できるだけ重いものを下に配置する
  • できるだけ転倒・転落防止を施す

例えば現在の私のPCラックは、デスクと結びつけることで転倒しないように対策しています。

実際、親友Sのアパートでは居間で大きな本棚が倒れてえらいことになっていました。
自身当時、Sはシャワーを浴びていたそうなので特に怪我などありませんでしたが、もし寝ているところに倒れこんでいたら無事では済まなかったかもしれません。

地震のような家具が激しく振動するリスクを考慮して、インテリアの配置を考えるようになりました。

自治体のハザードマップを見るようになった

自分が被災者になったことで危機管理意識が高まり、自治体のハザードマップを見るようになりました。

例:熊本市ハザードマップ

地震以外にも洪水や津波など、自分が住んでいる地域にどのような災害リスクがあるのか、有事場合にはどのように行動をすればよいのかを普段から考えることが大切です。

住まいを選ぶ際にも、ハザードマップを確認して災害リスクの小さい地域に住むのがベターですね。

誰しも被災者になり得る

地震の発生を正確に予測することは不可能です。
広く知られている通り日本は地震大国であるため、どこで暮らしていても地震に遭遇する可能性はあります。

緊急持ち出し袋の準備や、ハザードマップや避難所の確認など、個人レベルでできる災害対策はたくさんあると思います。

みなさまの身にこのような大災害が降りかからないことを祈っていますが、
いざというときのために自分の身や、愛する人を守るために、普段からできる対策・準備をやっておいて困ることはありません。

私は完全ノーガードだったので、被災時は本当にその場その場で次の動きを考えなくてはならずとても不安でした。

このブログを読んでくださっている皆様には、私と同じような苦労をしてほしくないと思い今回の記事を書きました。

この体験談が、少しでもみなさまのお役に立てれば幸いです。

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