この話は、私の弟の知り合いが体験した複数の体験談をベースに、フェイクと脚色を織り交ぜて再構成したフィクションです。
実在の人物や団体などとは一切関係ありませんので、あらかじめご了承ください。
はじまり
俺にはいわゆる霊感がある。
他の人には見えない「人間っぽいなにか」が見えるのだ。
それが果たして死者の魂なのか怨念なのか。
一般的な呼び方はいろいろあるが、その実態を的確に表すのは難しい。
とりあえずここでは便宜上、”幽霊”と表現させてもらう。
「幽霊が見える」と言っても霊感の度合いは人によって程度の差があるらしい。
俺の場合は生身の人間と区別がつかないくらいはっきり見える。
人間と識別できるならまだしも、これが結構たちが悪い。
俺の霊感はどうやら血筋らしい。
俺の祖母もそういう類のものが見える人だった。
お袋から聞いた話では、いわゆる霊能者というか呪術師というか、とにかくその手の特殊な能力人助けをしていたらしい。
一方で俺のお袋とその姉(伯母)は霊感こそなかったが、幼いころから姉妹そろって祖母からそういった話を聞かされており、この世には「見えなくても存在するもの」があることを何となく感じてるようだった。
そのせいか、俺は物心ついた頃からお袋に「K大学の周りには近づくな」とか「深夜にあの橋は渡るな」とかやたら具体的な小言を言われていた。
たぶん、ヤバい場所が分かる祖母からの受け売りだったのだろう。
別に俺は祖母のようにこの能力を使って社会貢献しようとは思っていない。
あくまで「見えるだけ」で、それ以上のことは何もできないからだ。
なので普通に大学に通い、普通に就職して、今では普通のサラリーマンとして生活している。
まぁ今でも幽霊が見えることは変わらずたまに困った場面になることもあるが、さすがに30年近く生きれば折り合いのつけ方もそれなりに心得たつもりだ。
ほとんどの幽霊はこちらからなにか干渉しようとしなければ何もしてこない。(そいつら本当に無害なのかは分からないが)
幽霊といえど『リング』の貞子や『呪怨』の伽椰子みたいに無差別に出会う人間を呪いまくるような幽霊ばかりではないようだ。
多くの幽霊は、目的は分からないがそのへんの人間に紛れ込んで何食わぬ顔で歩き回っていることも多い。
(例外もあり、ゲームのバグのようにトイレの壁から下半身だけまっすぐに飛び出した幽霊なんてのも見たことがあるが…)
ついこの前は職場の後輩の隣に座っていた見慣れない女が実は幽霊だったと分かった。
後輩に「さっきの隣の女さー」と聞いたら「え、誰もいませんでしたよ…?」と怪訝な顔をされて初めて気づいたのだ。
そんな感じで、俺も幽霊が見えるといってもその場で判別が効くわけではないから、生活の中では相当数の幽霊をスルーしているのだと思う。
でもそれでいいのだ。
幽霊の存在なんて気づかない方が幸せだと思う。
実のところ、この「見えるだけ」の能力のせいで幼い頃に一度死にかけたことがあるのだ。
幸か不幸か、この能力がらみで俺自身に実害が及んだのはこの一件だけなのだが、自分の霊感を自覚するきっかけになった出来事である。
前置きが長くなったが、今日はその話をしよう。
スーツの男
俺は熊本県の市街地で生まれ育った。
幼い頃は家族で中心街に遊びに行くのが好きで、よく家族でアーケードまで出かけたものだ。
4歳の夏、その日は俺のお袋と1歳の妹、伯母の4人で熊本城に遊びに来ていた。
熊本城は文字通り熊本屈指の観光名所で、その時は夏休み期間だったこともあり親子連れや外国人の観光客でにぎわい、皆が思い思いの方向に目を向けては景色を楽しんでいた。
お袋はまだ幼い妹をベビーカーに乗せて押していて、俺は伯母に手を引かれながら広場を歩いていた。
その日はよく晴れていて、入道雲と城の後ろに広がる青い空が綺麗で気持ちよかったのを覚えている。
城の敷地をしばらく歩き回ったころ、ちょうど日が高い時間帯にさしかかって伯母が飲み物を買いに行くことになったため、そのあいだ俺たちは広場の片隅にある日陰のベンチで休むことにした。
日陰には先客がおり、ベンチから数メートル離れたところに男が一人立っていた。
角度のせいで顔は良く見えないが、当時のお袋や親父の年齢よりは年上のように見える。
少しくたびれた感じの紺色のスーツをジャケットまで着込んでおり、少し斜め上の方向をじっと見つめたまま両手を体の脇にだらっと下げてたたずんでいた。
見た目はいわゆる中肉中背のよくいるサラリーマンだ。
しかし子供ながら、男の様子は周囲から浮いているように感じた。
観光シーズン真っ盛りの熊本城でスーツを着た人間なんて他にいなかったからだ。
それに男は城と反対方向を黙って見つめていた。
俺は何を見ているのか不思議に思って視線の先に目をやるがそこには特に何もなかった。
お袋が妹の相手をしていて俺はヒマだったのでしばらくその男を観察していたが、その間も男は虚空を見つめたまま微動だにしない。
今思い返せば不気味でしかないのだが、幼い俺は男が何か珍しいものでも見ているんじゃないかと気になって仕方なかった。
子供の好奇心とはそういうものだ。
すると男が俺の視線に気づいたのか、俺の方を振り返って目が合った。
俺が気まずくなって目を逸らすと、男はまた元の方向に向き直り一点を見つめている。
俺はいよいよ好奇心に負けて、お袋もすぐ隣にいたので特に物怖じすることもなく、俺は男に近づいて横から無邪気に声をかけた。
「おじさん何見てるん?」
俺が言い終わるよりも前に、男の首がものすごい勢いで振り返り俺の方に顔をグンと近づけてきた。
男の嬉しそうに見開かれた目玉が俺の目の前にある。
俺は何も反応できないまま、突然視界がテレビを消したようにブツッと真っ黒になった。
俺はその男がどんな顔をしていたのかよく覚えていない。
男と目が合った瞬間からの記憶がないのだ。
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どれくらい時間が経ったのだろうか。
ふと我に返った俺は、仰向けの状態で誰かに背中側から羽交い絞めにされていた。
真上から降り注ぐ日の光が目に突き刺さり、思わず目を細める。
俺はわけが分からず困惑した。
俺の体は尋常じゃなく強い力で締め付けられていて、あまりの痛みに思わず叫んでしまった。
「痛い痛い痛い痛い!!!」
すると俺を拘束していた手足がパッと緩んで解放された。
眩しさが残る目を細めながら後ろを振り返ると、そこには顔を真っ赤にして息を切らしている伯母の姿があった。
どうやら俺を羽交い絞めにしていたのは伯母らしい。
その後ろでは、母が妹を抱えたまま涙目で俺の名前を呼んでいた。
心配そうな顔をした観光客も集まってきている。
「何があったんや」
伯母が俺に尋ねた。
それはむしろ俺のセリフだ。
俺はさっきまでベンチで…
思い出した、スーツの男だ。
しどろもどろで伯母にスーツの男のことを伝えた。
俺たちがベンチに行く前からベンチの少し横に立っていたこと。
よく分からない方向を見つめていたこと。
気になって近づいて話しかけたこと。
心配そうに話を聞いていた伯母と母の顔が徐々に怪訝な表情に変わり、ハッと息を飲んだのが分かった。
驚いた顔で互いに顔を見合わせている。
「話しかけたんか!?お前話しかけたんか!?」
伯母が俺の肩をつかみながらものすごい剣幕で詰め寄る。
伯母のあまりの迫力に、俺は思わず涙があふれて泣きじゃくってしまった。
伯母はハッとして「ごめんな…おばちゃん怖かったよなごめんな…」と母親と二人で俺を抱きしめてくれた。
妹は母のふところから不安そうに俺の方を見ている。
しばらく泣いて俺が少し落ち着くと、伯母が俺に静かに尋ねた。
「その男、まだおるか?」
俺がハッとして周りを見渡すと、自分がいつの間にかベンチから20mほど移動していることに気付いた。
周囲には俺たちの様子を遠巻きから見つめる観光客たちも何人かいたが、広場全体を見渡してもスーツの男の姿はなかった。
伯母にそのことを伝えると「そうか」とだけ答えた。
俺は我慢できず、いったい何がどうなっているのか尋ねながら涙目で伯母とお袋にすがりついた。
「とにかく今日は帰ろう。車で話そうかね」
伯母はそう答えると、俺の手を引いて足早にその場を離れた。
広場は相変わらず人でにぎわっていたが、俺たちだけは景色を楽しむ余裕は無くなっていた。
ルール
車が走り出すと、お袋と伯母は俺に何があったのか話してくれた。
お袋が言うには、ベンチで休んでいる時に俺がベンチを離れて独り言を言ったかと思うと、急に大声を上げながら広場の隅に向かって走り出して身長の2倍以上もあるフェンスを一心不乱によじ登り始めたらしい。
そのフェンスのすぐ向こうは城のお堀になっていたため、乗り越えて落ちれば到底無事では済まない高さがあった。
あまりの急な出来事に、妹を連れていたお袋は追いかけるのが遅れてしまったという。
しかし幸いなことに、飲み物を買って戻ってくる途中だった伯母が俺の行動の一部始終を目撃していた。
突然走り出してフェンスをよじ登る俺のあまりに異様な様子に気付き、全力疾走で追いついて間一髪のところで俺の足をつかんで引きずり降ろしたそうだ。
しかし俺は引きずり降ろされても伯母を振りほどいてすぐにまたフェンスを登ろうとしたそうで、4歳の子供とは思えないほどの力で抵抗したため伯母が全力で羽交い絞めにするしかなかったという。
しばらく暴れて意味不明な言葉を叫んでいた俺だったが、急に暴れる力が弱くなり普段の声色で痛みを訴える俺に気付いて慌てて解放したのだった。
俺が走り出してから1分かそこらの出来事だったらしいが、半狂乱で暴れる俺の様子はまさに異様だったという。
しかし俺はその時のことを全く覚えていない。
自分がどうしてそんなことになったのか全く理解できなかったが、二人にはとても申し訳ない気持ちになった。
スーツの男について尋ねてみたが、お袋も伯母もそんな男は見ていないという。
自分は暴れた記憶がないし、二人とも男を見ていないと言うから、だんだん自分の言っていることに自信がなくなってまた泣いてしまいそうだった。
そんな俺の不安を察してか、お袋も伯母も俺のことを気遣って体は痛くないかとか、何か食べるかと優しく声をかけてくれた。
正直体はまだ痛かったが、これ以上二人に心配をかけたくないから振り絞るように「大丈夫」とだけ答えた。
緊張続きで疲れたのか、俺はそのまま眠ってしまった…
家に着くと、伯母とお袋は俺が見たスーツの男について二人が知っていることを教えてくれた。
2人が言うには、おそらく俺が見たものは「何かしらの意思のようなものを持ったこの世のものじゃない存在」らしい。
平たく言うと”幽霊”だが、その正体が死んだ人の魂なのか、はたまた妖怪なのか分からない。
何もしない無害っぽい幽霊も多いが、仮に人間の姿をしていても人間の道理で理解したり意思の疎通ができると思わない方がいいそうだ。
今日のスーツの男のように、自分のことを知覚できる人間を通じて何かしら人間に干渉しようとする幽霊もいるらしい。
俺が今日スーツの男に”憑りつかれた”のは、俺が話しかけたことで男のことを見えているというがバレてしまったからだ。
そして、俺が幽霊を見ることが出来るのはおそらく祖母の血筋で、祖母も同じように幽霊が見えていたこと、その力で人助けをしていたことを知った。
お袋たちも祖母からこういった幽霊の話を聞いて育ったのだという。
祖母は俺が生まれた少し後に亡くなっていたが、幽霊のせいで亡くなったのかどうかはお袋たちにも分からないそうだ。
お袋たちに霊感が備わることが無かったが、もし俺に霊感が備わるようなら最低限の身の守り方だけでも教えてあげてほしいと生前の祖母から言われていたらしい。
今日の一件で、俺に霊感があることをお袋と伯母は確信したのだ。
(当時4歳の俺は一連の話の半分も理解できなかったと思うが、とりあえず祖母譲りで変なものが見えていて、そいつに話しかけたことがマズかったことは最低限理解した)
とはいえ、その後お袋たちから教わった身の守り方は陰陽師のようなかっこいい呪術や退魔法などではなかった。
その方法は退屈なくらい単純なもので、2つのルールを遵守することだけだった。
- 初対面の人間にこちらから話しかけるな
- 幽霊だと気づいても気づいてないふりをしろ
以上だ。
生身の人間と識別できない以上、今日みたいに不用意に幽霊に話しかけるとまた何が起こるか分からない。
お袋たちいわく幽霊は言葉を発さないらしいので、初対面の人間と話すときは向こうが話すのを待つか、他の人間からも見えていることが確認できるまで絶対に話しかけるなということだ。
そしてもし幽霊を見つけても、目線を合わせたり、追いかけたり、触ろうとしたり、話しかけたりしないこと。
もし見えていることが悟られてしまうと…
その結果は俺が一番よく分かっている。
この話の冒頭で、俺が「幽霊の存在には気づかない方がいい」と言っていたのはこういうことだ。
結局、俺自身にとっても幽霊に気づかない方が一番問題が起きにくいのだ。
こうして、4歳の俺は自分が”幽霊”が見えていることを自覚した。
幸いなことに、その後も不意に幽霊に幽霊に鉢合わせたり多少のトラブルはあったものの、ルールに従っているおかげか今まで命に関わるような大事に至ることはない。
まぁ「ルール」のせいで小学校以降の人間関係にはかなり苦労したんだけどな…
話はこれで終わりだ。
付き合ってくれてありがとう。
みんなも変な物には関わらないに越したことはないぜ。
追記
せっかくここまで読んでくれた方に知恵を借りたい。
車を運転してて信号のない横断歩道を人が歩いてたら止まるだろ?
俺の場合、それが人間じゃなくて幽霊の場合があるんだよ。
自動車学校の卒業試験で教官から「なんで止まったの?」って言われた時は「あーこういうパターンねー」と思ったよね。
幽霊と分かっても轢くのも罰当たりな気がするからいつも渡り終えるのを待つんだけどさ、あるとき幽霊が渡り終えた後に俺の方をじっと見てたんだよね。
その時はルールに従って目も合わせずに走り去ったんだけどさ。
そしたら後日同じ幽霊が同じ横断歩道に立ってることが何回かあってさ、俺が来るのを待ってるみたいでさすがに不気味なんだよね。
次そいつの前で止まったらちょっとヤバいような気がしてる。
どうしたらいいと思う?